前回は笹尾さんの学生時代までさかのぼり、「水辺のまち再生プロジェクト」に関わるようになったいきさつをお伺いしました。今回は、実際の「アーバンアウトドア」の方法論について伺っていきます。
誰でもできる方法を探してシェアする
水辺のまち再生プロジェクトのホームページより
——「水辺のまち再生プロジェクト」のブログを見て、「アーバンアウトドア」を行ううえでの自分たちなりのルールづくりがおもしろいなと思いました。ただ単にまちを使って遊ぼうというだけではなく、行政、警察とのせめぎあいがおもしろいなと。
笹尾: 「世のため人のため」という社会貢献を入り口にしていないので、突き詰めると、自分たちが続けられたらいい。でも、自分たちだけでやっていると、大きな資本主義の経済活性化の流れに負けてしまう。自分たちだけがこういうことを続けていけても、全然持続可能じゃない。だから、新しい方法を見つけたらシェアしたい。やっぱり、やるからには誰かが簡単に真似できて問題の無い方法や、真似したいと思える見え方でやらないと、広がらないでしょう。だから、ルールや、意識することが必要な一般解を探すみたいな感じですね。
——一般解というと?
笹尾: 誰にでもできることですね。
続けることが一番大事
笹尾: 話は変わりますが、僕は今36歳なんです。学生の時から、バブルも終わったし、経済成長もそろそろストップするから、需要があってどんどん作るというのではなく、ストックや残されてきた物の魅力を大事にしよう、守っていこう、という教育を受けてきたんです。
——なるほど。
笹尾: だから、続いていくことがいいこと、という発想なんです。でもそれを批判されることもあります。
——どうしてですか?
笹尾: 上の世代や実業家の方と話していると、「趣味じゃなくて活動と言うのなら、何年後までに何を達成したいか」という達成目標を数字で出さないと、と言われるんです。確かに僕たちとしては趣味だけではないんです。でも、数値目標がイメージできなくって。僕たちとしては、「こういう活動が続けられる未来がゴールです」と言いたいんですが。
多様性の本質
——自分たちの活動の存在意義ってなんだと思いますか。
笹尾: 自分たちのような活動が続いていることが、社会に多様性があることの証明になると思うんです。
——といいますと?
笹尾: 僕は根っこでは、自分で言うのは恥ずかしいのですけれど、「大きな流れには迎合しないぜ」「俺はちょっと他とは違うんだぜ」って言う立ち位置でいたいタイプなんです。だから基本的にはカウンターの姿勢です。そういうことをやっていると、応援したり理解してくれる人もいますが、「なんで普通にせえへんの?」と言う人もいます。
「普通はこうするべきなんじゃないの?」と思われていることと、自分にフィットすることは別じゃないですか。そういう時に、素直に自分の気持ちにしたがって、表現することができる世の中がいいなと思っています。
——はい。
笹尾: その表現を、「あぁそういうやつもおるな」という感じで周りが放ったらかしてくれる状況って素晴らしいなと思うんですよ。それが、多様性と呼ばれるものの本質じゃないか、自由というものなんじゃないか、と最近は思い始めています。
——最近の日本は、ちょっと公園で騒いでいたらすぐに通報されたり、ちょっと息苦しさを感じることがありますよね。
笹尾: ムラ社会というか、自分と違うことが許容できないんですかね……。「お上がしっかり導いてくれているから自分たちがわざわざ何もしなくてよかった、自分で決めるのではなくとも委任して委譲して、あとは良きにやってくれたら、自分はそのサービスを受ければいい」という発想が私たち日本人にあるような気がします。
——ふんふん。
笹尾: 今の日本社会のシステムというのは、政治では国民をなんらかの方向に動かしたがっているし、経済面はお金を稼いでもその使い道が決まっていたりする状況だというのが根本としてあると思うんです。僕はそれに対して、本当はそれだけじゃないと一度気づいたら最後、違う答えを見つけたくなってしまうタチです。
——多様性という言葉と一緒によく使われる異文化共生という言葉がありますが、共生と言う割に一つの文化に染めようとする違和感があります。
笹尾: そうですよね。世の中で言われている多様性というのは、誰かをコントロールするためにたくさんのメニューを用意するという発想だと思うんですよ。一見、自由度が広がったように見えて、実はその自由の幅はコントロールする側によって制限されているんじゃないかと。
でも、別にたくさんのメニューがある必要はない。「自分と違うやつをそのまま許してあげられる」ということが、多様性を担保するうえでの本質だと思うんですよ。それが異文化共生という言葉への違和感ですよね。
自分の心の満足と、経済的な満足を分けること
——笹尾さんは、「水辺のまち再生プロジェクト」は、右下っぽいと思っていますか?
笹尾: 例えば「水辺のまち再生プロジェクト」をまちづくりの分野に落とし込むと都市計画やまちづくりコンサルのようなトップランナーの背中が見えるので、そういうところへのあこがれや悔しさもあります。でも、まずは自分が一番満足できる状態で活動が続けられることが一番だと考えています。例えば、自分の中に100の満足が得られる状況をつくる。そして、そのうえでさらに付随してどれくらいプラスできるかを考える。それによって、プラス分があふれだして他の人にも影響を与えられたら、小さな効果であっても自分あプラスになっているし、社会全体にもプラスになる。そういうことをベースに考えたらいいかなと思っているんです。
——実際何人かインタビューしてみて、右下的なポジションをあえてやっているみたいな意見もありました。右下というのは、他の右上や左下、左上に対するアンチとしてやっているわけではない。でも、そこに属せないからあえて自分から右下に寄せていくという面はありますよね?
笹尾: そうそう。変な話、どこにも属せなかったから、右下が残っていたという部分はありますよね。
——たしかに。どこにも属せない人の最後の選択肢が右下だったという。
笹尾: 自分の心が満たされることと、経済的な満足は違うと考えることが大事ですよね。物事を進めるにあたって、お金は、何かをするモチベーションになりやすい。でも、それで心が満たされるかは別。だから、自分の心が満たされることと、経済的な満足を分けて考えることで、自分の活動がお金を生み出すものでなくても続けられる動機になっていると思うんです。
——もしかしたらそれが、ロストジェネレーションの世代観なのかもしれませんね。人口が減るし経済成長も期待できない上、給料も上がらない。だから、貨幣に価値を置かずに、別のものに見出していかないとしんどくなりますよね。
笹尾: ただ、そうすると別の問題もあるんです。というのも、ここ20年くらいでいろんな志ある人たちが貨幣価値に換算される仕事だけではなくボランティア活動なんかをやるようになった。そういった志高い人が表れてきた頃、僕たちはまだ仕事に就いていない学生だったから、何らかの搾取されている状態に陥っていたかもしれないんですよ。
——わかります。
笹尾: 今思えば、どうせ無償でやるなら、少なくとも自分がおもしろいというものに関わりたいですね。
——自分のやりたいことで、お金にならないなら、自分がトップになってということですね。
笹尾: 貨幣だけじゃないところの満足を考えたいという時に、そういう搾取されるような状況ではなく、個人主義的に納得したうえで関わるということに値打ちがあるなと思うようになりました。
——確かに気持ちで納得しているかしていないかでだいぶ違いますもんね。
笹尾さん、ありがとうございました。
インタビュアー:太田明日香(取材日:2017年11月20日)