2018.05.11

Interview

「即興楽団UDje( )(うじゃ)は、2009年に東京で結成され、2011年にナカガワさんが関西に移住したのをきっかけに、日雇い労働者の町として知られる大阪の釜ヶ崎の人たちと一緒に活動するようになった。以降、活動範囲を広げながら、ワークショップや即興音楽ライブを各地で展開している。今回はナカガワさんにバトンを回した椎名保友さん(前編後編も一緒に、みんなが「うじゃれる」社会のあり方について考えた。

うじゃって何だ?

——即興楽団うじゃについて簡単に教えてください。

ナカガワ: 2009年に仲間と一緒に始めました。「うじゃ」という名前ですが、「う」はウクレレ、「じゃ」はジャンベ(アフリカの太鼓)、「かっこ( )」はウクレレ、ジャンベ以外のいろいろな楽器もはいれるようにという意味をこめています。初期のメンバーにジャンベをやってる人の他にウクレレをやってる人もいたんですね。即興音楽をベースにして、一緒に太鼓を叩いたり、声を出したり、踊ったりして、みんなでひとつの「場」をつくっています。

うじゃの結成のきっかけとなった参加型ステージ。みんなちがってみんないい/東京 Photo by  ZOOM

ワークショップ。救護施設/大阪 Photo by オカモトマサヒロ

うじゃと二つの福祉施設の合同ステージ。素のままフェスタ/大阪 Photo by 井野麻子

インタビューだけではうじゃのおもしろさは伝わるまい。実際に見てみないことには、そして参加してみないことにはそのおもしろさがわからない。

パフォーマンスはものすごくパワフルだ。カラフルな衣装に、ジャンベや世界の民族楽器、そして手作りの打楽器もある、即興楽団というだけあって、楽譜はない。その代わりが代表のナカガワエリさんの合図だ。ナカガワさんは注意深く音を聞き、メンバーを観察し、えいっと合図を送る。

メンバーは鋭く反応し、ナカガワさんの合図に呼応するように、声を出したり踊ったりする。そこにジャンベの音が重なり、さらに他の人の声や楽器の音が合わさる。もちろんナカガワさんの合図がないところで何かが始まることもある。それに別の人が反応してセッションが生まれることもある。踊り始める人もいる。こうした即興のパフォーマンスをひっくるめてナカガワさんは「うじゃる」と呼ぶ。誰かの声にならないようなつぶやきが発展し、一つのハーモニーとなり、そして客席で見ている人も巻き込む渾然一体となったステージが生まれることもある。

うじゃと救護施設、福祉施設糸をかし有志によるコラボバンドの参加型即興演舞。ロック&アート/大阪 Photo by 江里口暁子

美術家への夢と挫折

展覧会会期中、ステンレスミラーに風景をうつしなぞり描く。SKギャラリー/東京

——即興楽団うじゃを始めるまではどんなことをしていたんですか。

ナカガワ: 10年くらい現代美術という文脈のなかで絵を描いたり、今思えばうじゃにも通じるのですが、自分の身体を取り込んだライブ性の強い作品をつくったりしてきました。だけど美術の道を突き進めば突き進むほど家族と話が通じなくなっていきました。私には弟がいるのですが、弟は目が見えなくて知的障がいがあって自閉も強いんです。だからか母は視覚で認識する私の作品を認めてくれなかった。目の見えない弟には楽しめないですからね。
それで家を出て作品制作を続けていたんですが、ある美術の登竜門のような展覧会に出展することになったんです。でも、その時にキュレーターと対立してしまって、展示がうまくいかなかったのね。

——それは辛いですね。

ナカガワ: そう、ほんとに辛くて。それまで、私はアートって、自由でかっこよくて好きなことができるものだと思っていたのに、実際はそうじゃなくて。競争社会で、権威主義的な世界だと思えた。
周りはどんどん美術家としてデビューしていくのに、それに引き換え私は・・・という感じで「がーん」てなって、落ち込んでしまって。それでちょっと美術から離れたいなと、普通の会社に勤めたりしていました。

ジャンベの面白さと可能性に目覚める

うじゃに使うジャンベ。素のままフェスタ/大阪 Photo by 井野麻子

ジャンベも楽器を運ぶ車も、いろんな人の協力を受け集まった。釜ヶ崎の夏祭り/大阪 Photo by 木村雅章

——じゃあその頃にジャンベも?

ナカガワ: そうですね。ジャンベをやりたいと思ってレッスンに通いました。最初はそこで教わったリズムをやっていたんだけど、それでは飽き足らなくなり自分の好きなリズムで叩くのが楽しくなっていきました。それで即興で叩いたり声出したりするようになりました。それがうじゃのはじまり。

——ジャンベのどんなところが魅力だったのでしょうか?

ナカガワ: 言語ではなく音でコミュニケーションが取れるところかな。
それまでやっていた美術って、とにかく議論をするんです。自分の作品に対して、すごく説明を求められる。だから議論づいてしまって、周りとしょっちゅう対立したり、それがストレスになってしまったんです。でも、ジャンベでは自分の気持ちを押し曲げすに、自然にコミュニケーションを取れたことが新鮮でした。それで続けてこれたんだと思います。

音ならコミュニケーションできるかも!!

ワークショップ~太鼓のおしゃべり。”うじゃる力”を模索する!/東京 Photo by 淺川敏

ナカガワさんの主催するワークショップに参加すると、「音でコミュニケーションを取る」のがどんなことかよくわかる。ナカガワさんが太鼓をポーンと一つ叩くと、参加者はポーンポーンと叩き返す。早いリズムで叩くと、次は違うリズムで返す。参加者は全身をアンテナのようにして、そのパスを待ち構える。そのパスを待ち、返す行為は、ナカガワさんの言う「太鼓でおしゃべり」そのものだ。ナカガワさんは楽器の音以外にも、みんなの目線、身振り、手振り、声など、どんな小さなこともこぼさず注目し、次にどう発展したらおもしろくなるかを絶えず考えながらその場にのぞんでいる。

音なら言葉を使わなくてもコミュニケーションできることに気づいたナカガワさんは、「これなら弟にも合うんじゃないか」と考え、弟さんの通う千葉県立千葉盲学校の青年学級(卒業した人が通う場)でもワークショップをするようになる。

ワークショップ。千葉盲学校青年学級/千葉 Photo by 淺川敏

活動の場を障がい者施設に広げる

ナカガワ: 弟は盲学校を卒業したあと青年学級に通い、合唱活動に参加していました。大声でがなるように歌うことが好きな弟には、きれいな声でみんなで合わせて歌う合唱はあっていなかったようで、母はある時私に「ジャンベをやっているなら、ジャンベ持って一度来てよ」って言ったんです。

——やり始めて弟さんの変化はどうでしたか?

ナカガワ: 弟は自閉が強いこともあり、次の行動に移すのにすごく時間がかかるんです。例えば「〇〇してください」っていっても、なかなか行動できない。けど、うじゃのワークショップでは「はい、どうぞ!」ってやると、ポーンと歌ったり踊ったりできるようになったんですね。弟はうじゃの時間を楽しみにするようになってきて。どんどん活発になっていき、同じ青年学級の仲間とも積極的におしゃべりするようになりました。それを見ていた母が「普通の人みたいだね」と、驚いていたこともあります。

——弟さんの青年学級でやったのがきっかけで、他の障がい者施設にも行くようになったんですか?

ナカガワ: そうですね。参加者のなかから口コミで広まった感じです。障がいをもった人たちが楽しんでいるのを見て、施設の職員さんも少しずつ理解してくれるようになってきました。障がい者施設だけでなく、生活困窮者の施設や保育園、学校などにも呼ばれるようになりました。

——施設の職員さんはどんなところに惹かれたんだと思いますか。

ナカガワ: 障がいをもった人たちは一緒にみんな同じ方向を向いてまとまって何かするのは難しいことが多いんですね。みんな強烈な個性をもってますしね。うじゃはひとりひとりの個性をつぶさずにまとまることができます。それで得られる達成感や満足感はかけがえのないものであると職員さんは感じ取ってくれたのではないでしょうか。

後編へつづく

インタビュアー:太田明日香(取材日:2018年3月31日)

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