2019.01.18

Interview

ここここ|うえしばえいじさんインタビュー(前編)

前回のオカモトマサヒロさん(前編後編)がバトンを渡したのは、服部天神にある行きつけの喫茶ピーコックのうえしばえいじさん。ピーコックは1964年創業、うえしばさんのおじいさんの代から地元で50年以上も愛されている喫茶店。

1979年生まれのうえしばさんは地元の商店会員の中でもダントツの若手。地域のこどもたちが農業を学びながらレモネードを作って販売し、売り上げを寄付する豊中こどもれもねいどの仕掛人でもある。

豊中こどもれもねいどは惜しまれながらも2019年に終了する。この活動を経てうえしばさんが思い至った価格と価値の関係について伺った。

自分探しに夢中だった20代前半

影響を受けた本たち。やはり働き方やビジネス書が多い。

——HPを拝見したんですが、前はバンドマンをしていたんですね。

うえしば: 高校ぐらいからギター始めたんですけど、よくある、バンドを始めたら勉強しなくなって、大学の附属高校やったんですけど、大学には行かないで卒業後はフリーターしながら20歳ぐらいまでバンドマンをやっていました。バイト、レコーディング、ライブ、練習、の繰り返しみたいな生活でしたね。

——わたしはあまり音楽については詳しくないんですけど、どんな音楽をやっていたんですか。

うえしば: くるりとWeezerを足して2で割ったような感じのロックですね。歌詞は熱めの感じで、音はポップな感じでしたね。

——楽器はギターですか。 

うえしば: ドラムですね。高校の途中からやりだして、ずっと。でも、20歳のときにバイクの事故にあって、それをきっかけにやめました。

——わりと早くに辞めたんですね。

うえしば: 事故で手首を折って、しばらく練習もバイトもできなくなった時期に、図書館で関東大震災からベトナム戦争までの悲惨な写真がたくさん載っているような写真集を見たんです。その写真集を見たときに、僕の音楽は自分がやりたいだけで、こういう戦争とか災害のような極限状態のときには、あんまり価値がないんじゃないか、意味がないなと悟ったというか。

——音楽をやっている人って、それに人生をかけているようなイメージがありますけど、すっと辞められたんですか。

うえしば: 人生経験の中身がないのに、どんな音楽をやったって、あまり意味がないなと思ったんですよね。それよりも深い人生を送らないと、と思ったんです。当時は、バンドマンは最終的にはプロになるとかメジャーデビューしないといけないような風潮があって、自分もそれを目指していたんですけど、その写真集を見て意味がないと思って、執着はなかったです。

——バンドを辞めたあとは何をしていたんですか。

うえしば: 自分探しみたいな感じで、ヒッチハイクで旅したり、キャベツ農家で収穫のアルバイトをしたり、半導体の工場に住み込みで働いたりしていました。

ちょうど「スローライフ」といった言葉が出だしたころで、そのとき興味があったのが、「生き方」ってほど熱くはないけど、自分なりの「ライフスタイル」をどう見つけるかみたいなことだったんですよね。

——2000年代初めぐらいでしたっけ?『ku:nel』みたいな雑誌で「ていねいな暮らし」と言われ始めた頃ですよね。

うえしば: そうそう。僕もそういう本や雑誌を見つつ、そこに載っているライフスタイルを取り入れて、下駄を履いてみたり、オリーブ石鹸を使ってみたりしましたね。

オーガニックとか有機的な暮らしみたいなことに興味をもって傾倒していた時期で、収入よりもどういう心持ちで生きていくか、毎日をどういう気持ちで暮らすかがテーマみたいな時期でしたね。

——ガツガツ上を目指していたのが、ほっこり系になった。

うえしば: 多分、音楽をやって上ばかり見ていたのを止めて、ふと目線を落として、自分の暮らしとか、自分にとって何が大事かを考えだしたんでしょうね。

そのあと23歳で、もともとよく出ていて、地元が近かったこともあって、江坂のライブハウスで働きはじめました。今はESAKA MUSEという名前ですが昔は「江坂Boomin Hall」と言っていたところですね。

——社会人の基礎はそこで身につけた感じですか。

うえしば: そうですね。1年半くらいイベントの企画制作なんかをやって、そこでイラストレーターやフォトショップの使い方を覚えたり、名刺交換とかそういうのも一通りやりました。

25歳になる手前ぐらいのときに、Boomin HallがESAKA MUSEに変わりました。それまでは、めちゃくちゃ不器用な、ほんまに売れてないバンドばっかりで、そういう子達と仕事するのが楽しかったんですよね。

でも、ESAKA MUSEになると売れているミュージシャン中心になるだろうし、あまり売れないバンドたちが蠢いている感じがなくなるだろうなと思って辞めたんですよ。

——特に音楽業界に未練はなかったんですか。

うえしば: バンドマンからライブハウスまでやってみて、そこで全部やったという気になったからあまりありませんでしたね。

自分が空になって悟り開いたみたいになったというか。18歳くらいのときから、バンドとか自分探しとかをやってみて、ずっと自分が何をしたいか、どう生きたいかみたいなことを考え続けていたわけですけど、ライブハウスを辞めたときに、やりきった感じがすごくあってあまり未練はなかったですね。

25歳で喫茶店の跡を継ぐことに

ピーコックがあるのは服部天神駅を降りてすぐの商店街の入り口である。黄色い外壁が目印。

ミックスサンドのセット。コーヒーは濃いめで好みの味だった。店内は地元の常連さんと思わしき人たちでにぎわっていた。

——そのあと喫茶店を継ぐことに決めたんですか。

うえしば: 25歳になるときですね。実家に帰って、ふと家のことが気になったんですよ。僕は長男ですが、親から継いでと一切言われなかった。けれど、これからこの店どうするんやろうな、と思って。

当時親は50数歳で、今思えば全然年はいってないんですけど、この後この店はどうするのかな、と思ったんですね。そのときにふっと神様視点みたいな感じで、自分がこの店に入ればすごくいいやんと思ったんですよ。

自分が喫茶店やりたいとか、次は自営業とか全然なくて、ちょっと俯瞰して見たときに自分が店に入ればすごく全体がうまく行くと思って、店やろうかなって。

——親から継いでくれとか、親御さんが病気になるとか亡くなったから継いだとか、自分が継ぎたくてっていうのは全然なかったんですね。

うえしば: 全然。だから、親からしたら、何で?って感じで。

僕も音楽やって、いろいろ自分探しみたいなことをして突き詰めてとことん考えてたのが、憑物が急に落ちたみたいな感じで。悟りというか、無我みたいな境地で、僕がやったらええやんみたいな感じで決めました。

生まれたところが喫茶店やったから喫茶店やってるだけで、家がラーメン屋やったら僕は多分ラーメンやっていると思う。

——そこから喫茶店をやり始めて、今で15年ぐらいですか。

うえしば: そうですね。いま思ったら、もうちょっと遊んだらよかったな、なんて思いますけど、タイミングですよね。

僕は25で店に入ったから、周りからしたらめっちゃ若かったし、今年で15年になるんですけど、若い割にめっちゃ町のことに詳しくて、昔ここに何屋さんがあったとか、あのおっちゃんがどうやったとか、すごく知っている人になってますね。

——入る前に修行なんかはしたんですか。

うえしば: バイトで二、三軒ぐらい喫茶店で働いたことがあるくらいですが、だいたいのことはわかりました。

——それじゃあ店の方に馴染むのはあまり苦労もない感じで。

うえしば: そうですね。それよりも、おやじの店から自分の店にする方が大変でしたね。周りも最初は息子さんがおやじの店を手伝ってるって見方で、「あの子の店や」ってなるまでに10年ぐらいかかりましたね。

10年くらいは店作りがメインって感じでした。アルバイト入れて、メニュー変えて、内装変えて、店の前に花飾ってとか。それで、だんだん売り上げも上がって来たなあという感じでやってきました。

だから、町づくりって言ってもねえ、みたいな感じで。一切考えたことはなかった。僕の店っておやじも周りも意識してくれるようになったのは、店を4年前ぐらいに建て替えたときなんかなあ。

商店会最若手として町づくり活動へ

服部元町商店街の入り口。20店舗あまりがある。

——じゃあ、お父さんのお店だったのが、自分が経営の中心になって10年ほどかけて自分の店にしていくのに精一杯って感じだったんですね。町づくり活動に携わるようになったきっかけはあったんですか。

うえしば: まちとかを意識し始めたのは、商店連合会のバルイベントかなあ。それが30代の始めくらいの頃。

——商店連合会って、商店街とは違うんですか?

うえしば: 阪急服部天神駅前には8つの商店街があって、ピーコックのある服部元町商店街とか、体育館通り商店街というように、通りによって商店街の名前が違っています。その8つの商店街が集まって、商店連合会という団体を作っています。

商店連合会の役割は、会員のお店に利益がいくようにイベントをやったり、お買い物券を作ったりというようなことをしています。で、その商店連合会で、バルイベントをやろうってなったんです。

——バルイベントって、まちがバルになるっていうあれですか? 町中のお店で使える回数券があって、イベントの日はいつもよりお得に飲み歩きとか食べ歩きができるっていう。

うえしば: そうそう。それをやることになったんですけど、僕が年が若い割にキャリアがすごくあるからと声がかかるようになってからですね。周りは若くても40代、ほとんど50〜70代ですから、30代だと断トツ若い。それに、喫茶店で毎日店にいたから顔もよく知られていたんです。だから会議とか打ち合わせに呼ばれるようになった。そこで初めて、8個も商店街があるんやとか、各商店街に会長さんがいるんや、とかまちの事情みたいなのを知りました。そこからバルイベントやまちのイベント運営やマップ作りをやるようになりました。

——自分からやりたいって感じでもなかったんですか。

うえしば: 全然。僕は個人がちゃんとやらんかったら意味がないとずっと思っているから。まちを盛り上げたら店も盛り上がると思っている人もいるけど、そんな時代じゃないですよね。だって、みんな買い物はショッピングモールでして、まちの中で買い物してないでしょ。まちが良くなったら人が溢れる、なんてことはないと思いつつも、でもずっとこの地域で新喜劇みたいな感じで店をしているわけやから、こういうイベントも時代の大きな流れの一個かなってくらいの感覚で参加していました。

自己主張をひっこめて、後方支援中心に

毎年恒例のようになっているピーコック前での餅つき。たくさんの人があつまって、「こうやって年の瀬にお餅つきをするとみんなたくさん来てくれて、これが僕の忘年会っぽいなぁと。」(2018年12月31日のブログより)

——いやいやでもないけど、積極的でもない感じで携わっていたんですね。

うえしば: ライブハウスでやっていたことに近いから、苦じゃないし、できた。それに、もともと好奇心があっていろんなことにも興味があるほうなので、アイデアも浮かんだ。それでだんだん中心にはならへんけど、一応まちのことをやっている人みたいな位置づけになってきた。例えば連合会でイベントする説明会とかで、役員さんの並びに座ってるような。だからっておとなしくいるわけでもなく、僕は結構言いたいことは全部言うので、びしばし主張していましたね。

——それで、だんだん中心的なこともまかされるようになった感じで。

うえしば: やるからにはちゃんとしたいし、自分なりにこうやったらうまくいくっていう道筋みたいなものがあるんですよね。でも、会議だと具体案が出てこなかったり妥協したりすることもあるからそれを押し通すわけにはいかない。

——簡単に言うと、小さくまとまりかけたりするのに、かつを入れる存在というか、発破をかける存在というか。

うえしば: 4~5年くらい前まではそんなふうにしていました。でも、だんだん変わりましたね。若い子ばっかりの会なら、まちを盛り上げるためにもっとがんばりましょうって言って多少の無理をすることはできるかもしれないけど、服部ではそういう力技は難しいので。

最終的には盛り上げたいねって言いつつも、その道中を楽しむみたいな感じかなあ。僕は結果が必ずしも収益を上げるとか、人が増えるってところに届かなくていいと思っていて、イベントをやるために、わーとみんなが頑張って、その道中で人と知り合ったり、仲良くなったり、当日みんなで「いやぁここまで来れたね」って言い合えたらいいかなって。

——じゃあ、だんだん結果重視じゃなくなってきたんですね。

うえしば: 30代前半は「今言いましたよね」、とかけんか腰に言っていた。最年少のぽっと出のやつが、ガチでがんがんやっていたんですけれど、それじゃ企業っぽくなっちゃう。目標を達成するにはそれはそれで大事なんですよ。でも、ここじゃそれぞれ事情もモチベーションもいろんな部分で違うから、無理がある、という感じですね。

最初は自分のやり方でやろうとしていたけど、今は周りの人たちがしたいことを実現する方、エンパワメントする方に変化してきましたね。店をやるときに我がなくなったのと一緒かもしれない。

そういえば、毎年駅前で餅をつくんですけど、誰かが餅つきしたいな、とか、そこでぜんざい炊いて、子供集まったらめっちゃいいやん、と言い出して、そしたら僕が広告打ちましょうとか?子供会聞いてみたらどうですか?とかコーディネイトする。昔やったら、そんなもん意味ないやん、とか、餅つきの先に何があるの、みたいな話になったけど、まちのことに関してはそういうことを言わなくなった。

——結果よりも過程を大事にするようになった感じなんですね。

うえしば: 手段と目的があって、バルイベントをするにあたって、バルは手段であって目的ではない。イベントって、目的のためにイベントを企画したりするんですけれど、だいたいみんなイベントが目的になっちゃう。それで、当日を迎えて終わったら、やったー大成功って終わって、次の日からまた元に戻るという。でもほんとなら、継続して来てもらうのが大事でしょ。

けど、それを説明しても通じなかったりするし、みんな喜んでいるしいいんちゃう、みたいな感じに落ち着いてきたって感じですね。それを妥協やあきらめのように取られてしまうかもしれないけど、そのやり方では無理があった。今の商店会の人たちに求めるのも難しいし、自分の言っていることを達成するのはもっと難しい。それに、人がついてこない。仮についてきたとしても、企業と一緒でトップダウンにしかならないから、みんなが指示待ちになってしまう。

——それならあんまり面白くないですもんね。

後編はこどもれもねいどがどのようにできたかや、こどもれもねいどを通じて考えた「価値と価格の関係」、こどもれもねいどを経てうえしばさんが目指す今後の活動について伺った。

後編へつづく

インタビュアー:太田明日香(取材日:2018年12月3日)

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