2018.01.12

Interview

梅山晃佑さん(前編 http://kokokoko.net/148//後編 http://kokokoko.net/306/)がバトンを渡したのは、NPO法人日常生活支援ネットワーク「パーティ・パーティ」(http://party2.net)の椎名保友さん。 「パーティ・パーティ」では障がい者たちが自分の住みたい地域で暮らし、買い物したり、出かけたり、当たり前に生活できるようにサポートをしている。最初は介助者として勤めていた椎名さんは、現在ではコーディネーターとしてヘルパー講座を開催したり、地域の要望に応じて障がい者の人も交えた防災講座を開催している。 「共助、平等」を重視する左下のど真ん中、というイメージの強い福祉業界の中で、NPOという組織に属しつつも、個人で組織を横断しながらまちづくりやアートといった分野にまで活動を広げる椎名さんの活動は右下的とも言える。今回は戦後の日本の福祉政策の流れの中で、パーティ・パーティ、そしてそこで遊軍的に動く椎名さんの活動がどんなふうに位置づけられるのかを中心に伺った。

障がい者と介助者の「契約」による相互扶助

パーティ・パーティがあるのは、大阪市営地下鉄大国町駅から徒歩5分程度の都心。

——パーティ・パーティはどんなことをしている団体なんですか?

椎名: 阪神・淡路大震災の次の年の1996年にできました。大きくは、いろんな障害のある人たちが、家で暮らすことを応援しようという団体です。
パーティ・パーティの代表の柿久保が言うには、生活というのは好きな所で暮らし、好きなときに出かけること。僕らはそのお手伝いをしています。ここのいちばんの特徴は、大阪で初めて「契約」という概念を持ち込んだところです。そこが福祉業界の中でも、右下的な部分だった。

——この場合、誰と誰が契約するんですか。

椎名: パーティ・パーティと障がい者です。
当時は障がい者が介助を受ける方法は3つしかなかった。1つ目は役所に申請して、行政が紹介した施設に行く。でも、その場合は自分が利用する施設が選べなかった。2つ目は、自分で大学に行ってビラを撒いてボランティアを募集する。3つ目は、作業所に属して、出かけたいときはこの職員に手伝ってもらう。
けど、そこから漏れる人もいるんですよ。

——具体的にはどんな人が漏れるんですか?

椎名: 従順じゃない人たち。それから、“へんこ”(関西弁で意固地、へそまがりな性格を指すのに使う)な人たち。
だから「契約」という概念が画期的だったんです。人集めはうちがするけど、障がい者のあなたは利用者じゃない。つまり、AさんがヘルパーとしてBさんという障がい者の介助をするときに、Aさんは米が炊けないかもしれないけれど、そこは我慢してもらう。Aさんがあなたの介助ができたら、今度はCさんの介助もできるかもしれないから。するとBさんがAさんを育てることで、社会貢献になる。
そういうふうに、障がい者もヘルパーを一緒に人を育てる相互扶助という考え方で、人を選ばないという条件のもとで介助者を派遣すると契約した。もともとは東京でやっていたのを、代表の柿久保が、大阪で初めてやり始めたんです。

——なるほど。

パーティ・パーティでは、障がい者の家に出向き着替えや排泄の介助をする「ホームヘルプ」、外出を手伝う「ガイドヘルプ」、障がい者が日中にパーティ・パーティに出向き一緒に過ごす「日中活動」の3つを活動の柱としている。

ゲームから手芸道具まで、利用者の人が日中活動に使う物が所狭しと用意されている。

椎名: 2000年4月から介護保険がスタートしたので、今は契約が当たり前ですが、当時は違った。そこがパーティ・パーティのすごく右下っぽいところでした。
それまでは障害者運動、自立生活運動や親の会など、同じ思想を共有して社会に訴えかけていく姿勢があり、その活動にかかわるなかでの生活や外出する介助だった。思想や活動でのサークル内での介助であった。

——さっき、従順じゃない人たちやへんこ(意固地、へそまがり)な人たちが漏れるという話があったんですけど、普通は障がい者の人は従順なんですか。

椎名: 社会からみたときは従順じゃない。社会に従うと山奥の施設や親元で生活が拘束されて、自分の人生を歩めなくなることをみんな知っているから。
だからこそ、社会運動としての障害者運動にはみんな真面目だった。
ただそのなかでも、そのムーブメントからもアウトローな人たちが「パーティ・パーティ」に集まった。
「俺人生悩んでんだよ」と酒飲んで、酔っ払ったらめちゃくちゃになる人とか。人生経験豊富なんだけど「あいつら首から上は健全者だよ」と大学で講演してボランティアを集められる人や障害者運動のリーダーっぽい人にくだを巻くとか。へそ曲がりだけど正直というか不器用な人たちがいっぱいいました。

戦後の障がい者福祉の流れ

共用の本棚にはたくさんの福祉関係の本が。

椎名: 障がい者福祉自体がもともとが右下なんですよ。
戦争が終わって、GHQが戦争で怪我をした軍人への福祉を打ち切れとなったんですが、1948(昭和23)年にヘレンケラーが日本に来て、その流れが変わるんです。
日本政府は、リハビリで障がい者を支援しようという流れになりました。だけど、そこから生まれつき障がいがある人は弾かれた。戦争や交通事故で怪我を負った人に職業訓練して、資格とか手に職をつけさせて、納税してもらうという方向になった。これが今の、障がい者の就労支援という政策のベースになった考え方です。

——それは中途失明の人に鍼灸を覚えてもらって、というような。

椎名: そうですね。一方で先天的な生まれつき障がいがある人への支援をという運動もあって、国との軋轢があったんです。それで、昭和40年前後に、国が大型施設を作るようになった。

——そういう政策だったから、先天的な障がいのある人はずっと就学拒否されてきたんですね。

椎名: 1979(昭和54)年までは教育委員会から小学校の入学が拒まれていました。養護学校全入といって、障がいある子も義務教育を受けることができるようになったのは、それから。ただ、僕自身は障がいある子の教育や生活も自分の地域でこどもたちと一緒に育まれていくのが本来だと思っている。
もちろん地域差はあるし、都市部と地方では考え方や体制の不充分さから未だ変わらないところも多い。

——そうなんですか。

椎名: 学校の話で言うと、義務教育の中学校までは地域で過ごす。その後は施設に申し込みして、高校に行っていても、施設が空いていたら中退して施設に入る。未だに日本の福祉ってそんな感じのところ多いんじゃないかな。

——施設もだいぶ批判されてきたと聞きますけど。

椎名: 2000人、3000人規模の収容施設を山奥に作っていったから、ほとんど隔離ですよね。そこで障害のある人たちはひどい目にいっぱいあっている。

——虐待とか?

椎名: まさに虐待。その頃は虐待と思われていなかったけど、女性に対して、子宮を取る手術を容赦なくされていたことが最近ニュースに出てきていますが、今更の話ですし。だから、「自分たちは悪いことをしていないのに、なんでこんな山奥でこんな生活させられるんだ」という反発から、地域で当たり前に暮らしたい(住む・移動する・働く・教育を受ける)ということを1970年代から訴え続けて、現代に至るんですよ。

——当時の運動は激しくて、バスジャックした話なんかを聞いたことがあるんですが。

椎名: 1977(昭和52)年の話ですね。当時は障がい者が電車やバスに乗ることに対して、ダイヤが遅れるから「非常識だ」という世論があった。自分たちは一市民なのに、公共交通機関が利用できないのはおかしいと、乗車拒否されたり、駅員に嫌味を言われたことへの抗議として、100人ぐらい全国から集まって車椅子の人を乗せて、バスを発車させないというようなバスジャックをしたりした。
福祉って、そういう運動を繰り返しながら、制度を作っていった。もともとみんなパンクなんです。で右下だったんだよね。その文脈を僕も守っていこうと思ったんだけど、逆に、障がい当事者たちの思想による弊害も感じることもあるんです。

——それはいいことのように思いますけれど。

椎名: 大阪は特殊で障がい者も支援者も友人だという文化がある。でも障がいがあっても、自分のことは自分で決める。支援者の立場を「手足だ」としている思想が障害者運動の本流。それに対して、さっきの契約制度というのは、「いや違う、支援する人間もされる人間も平等だ」と。そこは一緒にやっていくよ、という姿勢を示すっていうところを打ち出したのが、画期的だった。

施設内のいたるところに利用者の人の作品が飾られ、アットホームな雰囲気。

施設内では釜中悠至さん(前編http://kokokoko.net/611//後編http://kokokoko.net/664/)によるリフォームワークショップも開かれた。

——今回は複雑な福祉の歴史や制度の流れと、その中でのパーティ・パーティの位置づけを追って来ました。次回は、もともとは芸大出身だという椎名さんがどうやって福祉の道に入り、どのように働いているのかについてお伺いします。

後半へつづく

インタビュアー:太田明日香(取材日:2017年11月1日)

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