2018.06.08

Interview

ここここ|汐月陽子さんインタビュー(前編)

「この間まで、肩書きが『現代魔女』だった方です」という何とも気になる紹介で、秋田光軌さんからのバトンが渡ったのは、汐月陽子(しおつきようこ)さん。

汐月さんは東京で生まれ育った関西移住組だが、大阪には10年前からたびたび通っていたという。東京を出る直前の1年間、大学や出版社の多い文京区エリアでオルタナティブスペース「烏兎の苑(うとのその)」の運営を経験し、2015年から関西での活動を始めた。

まずは京都・嵐山にて住み開きスペース「スピカ座」を運営。全国から仕事のために京都を訪れるアーティストやNPO職員などに家を開放してもてなしたり、“一般的な”家庭環境や就職の機会に恵まれなかった女性たちに中期的に家に滞在してもらい、お互いの生活をサポートする取り組みにチャレンジしながら生活していた。そして現在は大阪・天満に住み、「ゲニウス・ロキ探偵社」というユニットで「創造観光」と題したまちあるきツアーを企画・運営するなど、組織に属さず個人単位でユニークな活動を展開している。

「『魔女』って、例えば中世ヨーロッパで医者にかかれずに出産する女性に対して、産後期も含めてケアをしていた産婆なんかがそう呼ばれた歴史があるんですね。社会の中の、そういう大枠の制度で拾えないものを、私は拾っていると思っていて」と語る汐月さん。「誤解も多く招いてしまう言葉なので、最近は名乗るのを控えてるんですけど」。

これまでの活動内容については、こちらのインタビューを参照していただきたい。

社会へ打って出ていく人に 賢く闘える武器を用意したい/魔女 汐月陽子さん

彼女の活動を一言で語るのはとてもむずかしい。インタビューをさせていただいた我々もまだ、そのエッセンスの一滴に触れさせてもらったばかりだ。まずは、彼女の活動の根底にある思想を伺いつつ、その言語感覚を味わわせていただいた。

「ゲニウス・ロキ探偵社」と「観光読書会」

——東京、京都、大阪と、これまでにいろいろな場づくりなどの活動をされてきていらっしゃいますね。まずは、現在されている主な活動について、まずは簡単に教えていただけますか?

汐月: 京都時代のインタビューは、今読み返すと自分で「いや今振り返るとそうじゃないかも……」と思うところも結構ありますね(笑)。でも、考えていることや狙ってること自体はあまり変わってないなと思いました。最近の活動は、主には2つ。「ゲニウス・ロキ探偵社」というユニットと「観光読書会」という会です。

——「ゲニウス・ロキ探偵社」の「ゲニウス・ロキ」ってどういう意味なんですか?

汐月:「ゲニウス・ロキ」は、ラテン語で「地霊」という意味です。土地の霊。霊って言っちゃうとオカルトみたいですけど、物理的な地形や地質だけではない、土地の歴史的な記憶や、社会的な文脈の中でその場所に宿るストーリーのようなものを指す言葉です。そういう「霊」、つまりかたちの見えない「謎」を追求するということで「探偵社」。観光家でコモンズ・デザイナーの陸奥賢(むつさとし)さんとのユニットで、まちあるきのプログラムをやっていて、去年と一昨年は京都、今年は兵庫と東京で実施を予定しています。私はディレクターおよびアーティストとして企画・運営に関わっています。

汐月さんとともにゲニウス・ロキ探偵社を運営する陸奥賢さんは、元「大阪あそ歩」(観光庁長官表彰受賞)プロデューサー。主な活動に「まわしよみ新聞」(読売教育賞受賞、6月20日に創元社より『まわしよみ新聞をつくろう!』発売予定)「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」などがある。

ゲニウス・ロキ探偵社のツアーには、関西だけでなく九州や関東から訪れる人も。

参考URL: 昨年10月に行われた御土居巡りツアーのイベントページ
https://www.facebook.com/events/435850770119348/

陸奥賢さんが運営する「大阪七墓巡り復活プロジェクト」紹介記事
http://higan.net/interview/2014/11/osaka-7haka/

汐月: 「観光読書会」は、大阪・北区エリアで15人程度で開催している読書会です。こちらも昨年陸奥さんと始めた企画ですが、今は少しお休みをいただいていて、今年から一人でやる予定です。まずは東浩紀さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』という本から読み始めたこともあって「観光読書会」という名前になりました。のちほど名前の由来や意図についてもお話ししますが(編集部注:後編の内容になります)、「観光」というキーワードを軸に、他者と向き合うことを見つめ直すような場をつくっています。

「人文書は、社会に対する疑問を言葉で説明するための強力な武器にもなります」と汐月さん。書評家の友人に影響され、週に一度は書店に新刊を見に行ってしまうそう。

参考URL:昨年5月に行われた「観光読書会」のfacebookページ
https://www.facebook.com/events/1897525550519323/

人の「語り」に興味を持ち続けてきた

取材は、エスニックな雰囲気と窓から降り注ぐ木漏れ日が豊かな「カンテ・グランデ 中津本店」にて。美味しいカレーとチャイをいただきながら、話が弾みました。

——活動の内容についても後ほど詳しくお聞きしたいんですが、まずは、活動に対するそもそものモチベーションや、どんな表現をしたい人なのかについて、興味があります。初めて汐月さんのことを知る人には、1つ1つの活動にはどんなつながりがあるのか一見わかりにくい気がするのですが、その根本にあるようなものについてぜひ教えてください。

汐月: 中学生の時から、人の「語り」に興味を持ち、その形式について考えてきました。「生きづらい」という言葉が好きではないのでここでは便宜的に使いますが、“生きづらい”人たちのことを考える上で、どうやったらその語りに社会的な力を持たせられるのか、考えつく限りのことをやってみたいという気持ちがあります。東京に住んでいた頃に、NPOなどに資金を提供する民間企業の助成金担当部署にいたことがあるんですが、その仕事も同じような動機で選びました。

——何かきっかけがあったんですか?

汐月: 私はもともと小説やエッセイが好きなんです。ただ、ちょっとややこしい話になるんですが、私が12歳の時に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こって、それに呼応するように世の中がすごく「心理主義」的になっていったんですね。「心理主義」というのは、「世の中のさまざまな現象を、個人の心の観点から見る」ような態度のことです。地下鉄サリン事件で言えば、「こんなに酷い事件を起こした実行犯の心の闇とは」みたいな、すごくざっくり言うとそういうやつです。どんな問題もある程度は社会構造から来るものなのに、心理主義的な見方をしているとそこから出られないんじゃないか、私たち自身の問題として考えることを放棄してしまうんじゃないか、と思うようになりました。小説では、「物語」にすることで個人の内面や人生の問題に帰してしまうところがあるけど、「それによって社会構造の問題を問えなくなってしまっているんじゃないか?」とモヤモヤしたりもしました。一方で、同時代に流行った作品に「新世紀エヴァンゲリオン」があって、あれは本当に象徴的な作品なんですが、作中のキャラクターに自分を投影して「いい作品だったよね」と集まる人たちが、自分たちの傷の舐め合い的コミュニティを形成してしまう、みたいな状況があって。「そういうことじゃないよね?『打撃力を持つ作品』って、この国に生まれないのかな?」と思っていました。

——中学生の時にですか?

汐月: そうです。結局そのコンテンツに群がる人たちが淋しいっていうだけの問題でしょ?って思われてしまうような状況を、自ら作っていることが多いなと感じてしまって。NPOや社会運動も、中にはそういう色の強いものもありますよね。「そうならないためにはどうしたらいいんだろう?」「どういうやり方をしたら、この社会状況の中で、“生きづらい”人たちの抱える問題が『私も、そうかもしれない』と思ってもらえるんだろう?」、そんなことを、ずっと考えてる感じですね。

過酷な体験の「語り」について疑問を感じた少女時代

ご自身でも小説を書かれるという汐月さん。作品は「ゲニウス・ロキ探偵社」のツアーで自ら朗読されることも。

——「打撃力がある」ってのは、そういう意味なんですね。中学生でそう思っていたのってけっこう面白いなと思うんですけど、そう思うような人だったのはなぜだと思いますか?

汐月: それは明確な理由があります。私は、小学校入学後に最初の担任から執拗な体罰を受け、今で言うところのPTSD(心的外傷後ストレス障害)になった経験があるんです。被害を受けたのは私だけではなくて、他のクラスメイトもそうでした。体罰が日々横行しているから、例えば授業で使うカセットテープがなくなったときに、ラジカセに触った児童の誰も絶対に自分が原因だって認めなかったことがあって。クラス全体がすごく変な雰囲気になって、先生はますます激怒するし、そのうち火がついたように泣き出す子とか、お漏らしする子とかが出てきて、そういうのが当たり前の毎日でした。親が学校についてきてくれた時があって、子育てが初めてだった親なりに「おかしいぞ」って思ったらしく、そうして学校のようすを多少なり覚えていてくれたことで今の私があります。子どもは、他の世界を知らないので、「おかしい」って思うことができないし、私はかなり長い間起こったことを思い出せなかったんですね。その結果6年間くらい普通の生活が送れない状態になり、最後は精神病院に入院して、さらにそこで医療ミスに近いことも起こって死にかけました。

——かなり……壮絶な類の体験をされたわけですね。

汐月: 9~11歳くらいが一番きつかったですね。PTSDは、日本では1995年以降に知られるようになった疾患ですが、当時はまだ社会の理解がなくて、うちの親は「親の育て方が悪いから子どもがこんなことになる」とか、「学校のせいにするような頭のおかしい親だから娘もおかしいんだ」というような、差別的なことをたくさん言われたりもしました。そういう中で、中井久夫さん(神戸大学名誉教授。PTSDとそのケアについて日本に広めた精神医学者)の本を独自に読んで勉強したりして、私が“正常”だと信じて支えてくれた親には本当に感謝しています。その後、1995年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の影響を受けて、世の中の受け止め方が一気に変わっていった結果、私も急激に多くの人に「かわいそうだったね!」とか言われるようになりました。その時に、「世の中って何なんだろう……」とすごく思ったんですね。

——なるほどー。12歳で世の中の大人たちが手のひらを返すbefore→afterをまざまざと見てしまったんですね。納得です。先ほどの話に戻ると、社会的な問題が個人の内面の問題に回収されていくことや、運動が内に閉じていってしまうことについて、「それじゃ変わるわけないじゃないか」「打撃力ないじゃないか」というのが、軸としてあるってことなんですね。

汐月: そうですね。「人が過酷な体験をした時に、それを語るということが、“こういう風にしか”言えないし受け取ってもらえないのかな?」みたいに思っていました。海外文学なども好んで読んでいたので、そうではない広がりを持つ語りがあることも知ってはいたけれど、この国では、いわゆる“ケータイ小説的な文体”とか、私小説のキャッチーさによって「不幸自慢」や「悲劇のヒロイン」的な物語に終わってしまうことも多い。「そんな表現しかないのか?」と考えていました。今回のように、何かしら自分のことをお話しさせていただく機会でも、今までは、こういった自分自身の過去の語りや元々の動機といったものは話さないようにしていたんですよ。

——へー。そうなんですか。その理由は?

汐月: それについて話すと、すごく「そういうストーリー」になっちゃうなぁ、って。「こういう辛い経験をした人がこんなふうに考えて、こんな活動として実らせています」っていう典型的な物語にまとめられてしまうというか。それが嫌で。

——あー……。

汐月: ドラマティックだったり「萌える」物語に仕立てられて消費されることが本当に嫌だったんです。30を過ぎてだいぶ厚かましくなりましたけど(笑)、社会的に“若い女性枠”にいた頃には、本当に耐えられなかった。私のやっていることって、私の身に何が起こったかを説明しないと、多くの人にはおそらくわかってもらえないんですけど、「その背景として、こういうことがありました」と話すことが、“ケータイ小説的な語り”にならないようにするにはどうしたらいいか……と悩む気持ちがずっとあったんですね。

表現によって「閉じた世界」を開く

汐月: 大学に進学する時、ストレートに行くなら福祉や心理の学部を選んだんでしょうけど、すごく嫌だったんです。「打撃力ないじゃん」って思って。社会の仕組みの中に、問題をちゃんと組み込み直す方法を学びたい……と考えて、法学部に行きました。

——なるほど。「ケアがしたいわけじゃない」と。

汐月: そうそう(笑)。とは言え、やったことはほとんど社会学の領域。入ってみたら真面目に法律を覚える気がないことがわかって、3年半留年しました。当時は「法学部を出て、どこかで仕事をする」となると、私の関心領域の中では「公務員になって困っている人のケアをする」みたいな選択肢しかイメージできなかったんですが、「そうじゃないなぁ」とは直感的にわかっていたんですね。

——そこでも「ケアがしたいわけじゃない」という感覚は明確だったんですね。

汐月: はい。じゃあ何がしっくりくるのかなあと、いろんなところに出入りしているうちに、「表現」「芸術」ということに可能性があるのかもしれないと思うようになったんです。20代の中頃に、大学に提出する自主論文を書くために関西に取材旅行に来ていたのですが、そこで大阪の地域課題と関わるアーティストと出会ったのが最初のきっかけでした。今で言う「地域アートプロジェクト」のようなことを、先駆的にやっていた人たちがいたんですね。美術制作や、詩作などを通して、例えば貧困の状態にある地域の人たちと関わるということをやっていた。そこには大阪市立大学なども関係していて、アーティストと地域、大学が協働でそういう取り組みをしているということが、当時のわたしにとってはすごく新鮮で衝撃を受けました。ほどなく市大がアートマネージャーの講座を開講するということで、東京から通うようになって。そのうちに、関東圏でも当時はまだマイナーだった、類似の取り組みをしている人たちと出会って、自分の問題意識が少しずつ輪郭を持っていきましたね。

——「表現」かあ。具体的に影響を受けた活動があるんですか?

汐月: 大阪にはだいぶ通いましたし、あるビールメーカーのメセナの一環で、京都・南丹市のプロジェクトにも参加させてもらったり、色々あるんですが。ユニークなところでは、東京に渋家(シブハウス)という、”演劇作品として”若い人らがおおぜいで一緒に住んで、クリエイションをしている家があるんです。私は2011年の8月から4ヶ月ほど住んでいたんですけれど。

汐月: その時、思ったんです。「一緒に住むってヤバイな」って(笑)物理的に一緒にいるって、否応無く変化するなと。

——ヤバイというのは?笑

汐月: 渋家(シブハウス)では、基本みんな何かをつくっていて、創作が特別なことでもなく、横から眺めて感想を言ったり、新しいアイデアを追加したりしていくことが当たり前に起こる感じがあります。そういう、活動や仕事としてクリエイションをしているっていうことと、冷蔵庫の中のこれを使っただろって喧嘩する、みたいなこととが地続きなのが面白い。

渋家(シブハウス)は、傷ついた人の包摂みたいなことは一切うたっていないんです。ただ、実感値としては、渋家に転がり込んでくる人は、どこかマイノリティ。ある意味で逸脱集団というか。渋谷区の一等地にあるでかい家を借りて、若い人らだけで30人超で雑魚寝をする生活に耐えられるっていうだけで、ちょっと「普通じゃない」ところはあると思うんです(笑)。そういう意味で、メンバーにも、そんなところに住もうと思う強烈な動機みたいなのがそれぞれある。いろんな経験を抱えていても、別にそんなこと喋らなくていいんだけど、一緒に住んでいると「この人はこのポイントに触れられたくない何かがあるんだな」ということはわかる。

——へえ〜。不思議な空間ですね。面白そう。

汐月: 普通にしてたら話ができないかもしれない人、立場や心理的な距離が遠い人が、物理的に同じところにいる、というのがいいんです。

——汐月さんはそういうことをなぜ大事だと思っているんでしょう?

汐月: うーーーーん。自分がいろんな人としゃべりたいから、というのは素朴にありますね。

あとは……例えば、すごく傷つく経験をして、それを大切な、安心できる人に話して、二人の世界!みたいな感じがケータイ小説的だと思うんですけど、そこからどう出られるかということに関心があるんです。やっぱり、個人の枠とか関係性の枠とかを開くことが重要だと思ってる。

——関係性を開く?

汐月: 「お前が苦労してきたことなんて知らねえよ」という人にどう”わからせる”か。どう「知れよ」と言えるか。理解してくれることがあらかじめある程度担保されているような「親密圏」の、その外の人に発信していくことでしか、打撃力は持てないと思うんです。

—— ……わかる気がします。

汐月: マイノリティの人って同じ属性のマイノリティの人だけで固まってるよね、って外から言われるような状況に怒りがあります。固まってしまう人たちへの怒りではなく、そうさせてしまう構造と、内外を問わず、その構造に疑問を持てない状態に怒りがある。だから、その構造をシャッフルするようなものに期待を持っているんです。

意思を感じる声の響き、瞳の奥にきらりと宿る知性。汐月さんの話す姿を前にして、なんというか、「文体」のあるしゃべりをされる方だなぁと感じました。

後編では、「ゲニウス・ロキ探偵社」のまちあるきツアーと「観光読書会」についても詳しく伺います。

後編へつづく

   ライター:徳田なちこ(取材日:2018年4月16日)

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