2018.09.14

Interview

オカモトマサヒロさんは前回も登場した即興楽団UDje( )(うじゃ)の活動に参加する一人。前回のナカガワエリさん(前編後編)は、「日常生活の中で緩やかに活動をしている人がいいと思う」と、オカモトさんを紹介してくれた。オカモトさんは、仕事とは別にいくつかの活動をしている。即興活動うじゃもの他にも、ブックカフェの運営や折口信夫(大阪出身の民俗学者)の勉強会の企画などに携わったりもしている。

そしてもうひとつ、オカモトさんはトウガラシの委託栽培という活動にも取り組んでいるという。日本ではなかなか手に入れることができない辛みの強いトウガラシが食べたいと思い、今年の春から知り合いの自宅や店の軒先などにトウガラシの鉢を置いて育ててもらう活動を始めたのだそうだ。
ちなみに今回のインタビュー場所は、オカモトさんが喫茶店で知り合ったのが縁でトウガラシを置かせてもらうことになった、髙津基盟(こうづはじめ)さんのお宅だ。お金を介さないながらも、こうやって人との何らかの縁を生み出しているこの取り組みはいったい何なんだろうか。
オカモトさんが日常生活の中で、どんな右下的な実践をしているのかについて話を聞いてみた。

アフリカでトウガラシによって命を救われた

髙津さん宅に置いているトウガラシの鉢。ハバネロ、タカノツメ、沖縄の島トウガラシが植えられている。

——バックグラウンドについて教えてもらえますか。

オカモト: 高校の時に米山俊直の『文化人類学の考え方』(1968年、講談社現代新書)を本屋で買って読んだんですね。僕は高校の勉強に全く身がはいらなかったので、この本を読んで初めて勉強したいという欲求が湧き出てきたのを覚えています。米山さんがアフリカの子どもを膝に抱いてる写真があるんだけど、それが強く印象に残っています。自分もあんな風にできたらいいなとあこがれ、大学では人類学と民俗学をかじりました。柳田國男とか宮本常一を読んでね。知らない土地を歩いたり、誰かと会って話しをしたりするのはもともと好きだったんだと思います。

オカモトさんが影響を受けたという米山俊直著『文化人類学の考え方』(1968年、講談社現代新書)。この写真にあこがれ、フィールドワークをしたいと思ったという。

オカモト:大学に入学してから20代後半までは日本の農山漁村を訪ね、土地の人から昔の暮らしや祭り、村の社会関係などについて聞き取りをするというトレーニングをしていました。大学を卒業してある出版社に勤務したんだけど、やっぱり海外でのフィールドワークをやりたいという思いが捨てきれず、5年ぐらいでその出版社を辞めて青年海外協力隊でアフリカに行ったわけです。青年海外協力隊というと、井戸掘りとか農業とか医療など、手に職がある人が参加するイメージがあるけど、その時ちょうど文化人類学や社会学という職種があったんですね。青年海外協力隊の説明会でそのことを知り、うれしくなって帰りに銀座のライオンのビアホールに行ってひとりで祝杯をあげました。よし、これで行こうって。

その頃は中南米に行きたいと考えていたんですね。黒沼ユリ子っていうバイオリニスト知ってる? 中南米に行きたいと思ったのは黒沼さんの『メキシコからの手紙ーインディヘナのなかで考えたことー』(1980年、岩波新書)の影響です。僕は読んだ本の影響を受けやすいところがある。彼女の夫はメキシコ人の人類学者なんだけど、村に入っていろんな活動に取り組むんですね。それがとても新鮮で、人類学をこうやって実践に生かすことができるんだと、目から鱗が落ちた気分でむさぼり読みました。

それで自分もやりたい!ってなって、中南米が専門の文化人類学の先生に相談しに大学の研究室を訪ねたりもしました。そこで「どんな職種でもいいからまず現地に行け! そしたら何とでもなる!」との力強いアドバイスをもらい、大いに勇気づけられましたね。それで試験を受けて、社会学隊員としてアフリカに行くことになったわけです。

黒沼ユリ子著『メキシコからの手紙ーインディヘナのなかで考えたことー』(1980年、岩波新書)の挿絵。この本をとおして第三世界の問題解決に人類学を役立てることができると確信したという。

——アフリカのどこですか。

オカモト: 南部アフリカのザンビアです。ザンビアの農村で丸3年、農村開発の仕事をしました。僕が赴任したのがちょうど南部アフリカ一帯が大旱魃(かんばつ)に見舞われた時だったんですね。主食のトウモロコシが全くできず、農民はトウモロコシを買うためにニワトリや家畜を手離していたんですね。これは困ったと思い、旱魃に負けない農業づくりをしようと考え、耐寒性の強い在来作物のことを調べて、その再普及の活動をしました。

モロコシ(ソルガム)っていうアフリカ起源の雑穀やササゲなどの豆類、あと在来化したトウモロコシなんかですね。農家をまわってそれら在来作物の種子を探して分けてもらい、それらを持っていない農家に渡して育ててもらう活動です。村でミーティングや講習会を開いたり、栽培実験やってみたり、楽しかったですね。なんか、話しながら気づいたんだけど、いまのトウガラシの委託栽培とつながってますね。

そのあと、国際協力の道でやっていこうと思って、JICAの仕事でバングラデシュにも行きました。だけど、ODAの限界なんかも何となく見えてきたので、30代半ばの時に軌道修正するために大学にもう一度入り直しました。だから僕はいろいろ遠回りをしている。30代半ばから40代にかけてはアフリカの農村で人類学的なフィールドワークをしてました。そのあといろいろあって、何年か前に大阪に流れ着いて、現在に至ります。

——バングラデシュのトウガラシはどうだったんですか?

オカモト: バングラデシュって、インドと一緒でトウガラシが日常生活にあるところなんですね。食堂に行くと、カレーとご飯、そして小皿に青トウガラシが2~3本出てきて、それをかじりながら、右手でご飯とカレーを混ぜて食べます。その頃はそんなにトウガラシを意識していたわけではないけど、現地の食堂で2年間、ほぼ毎日、カレーを注文して青トウガラシをぽりぽりかじる生活をしてました。気づいたらいつのまにかトウガラシがないと物足りないなと思うようになってたわけですね。

——めっちゃ辛そうですね。

オカモト: バングラのトウガラシはけっこう辛いですね。でも新鮮な青トウガラシは清涼感もあってカレーによくあう。バングラのあと、またザンビアに行ったんだけど、ザンビアっていうのは海がない内陸国なんですね。アフリカでもケニアやタンザニアなどの東海岸などはアラブの影響でスパイスとかいろいろあるんだけど、ザンビアではそれがない。町のインド系の商店には置いてあるけど、ザンビア人のあいだに普及しているわけではないんですね。だから村だと調味料っていうのは塩ぐらいしかない。

体調がいい時は塩だけでもよかったんだけど、体調を崩した時、調味料が塩だけの食事が喉通らなくて、体力もなくなってきた。僕が滞在していた地域は熱帯熱マラリアがあるところで、僕はそれに何度かやられてしまいへろへろになってしまったんですね。そんな時、ある一軒の家がトウガラシを何株か植えてたんです。小さくて辛いやつなんだけど、それを分けてもらって、塩プラストウガラシでコイ科の魚とかナマズを食べたらすごく美味しくて、食事がすすむすすむ。いやー、うれしかったですね。体力も回復してきたし。トウガラシによって僕は命を救われたわけです。まじで。

新大陸起源のトウガラシは、アフリカでも栽培されているけど、どこでもあるってわけではないんですね。僕がいたところはトウガラシに関しては後進地域だった。アフリカのトウガラシがあまりないところで、トウガラシのありがたさに目覚めてしまったわけですね。
インドのベンガル出身のアマール・ナージという人が書いたトウガラシ本の傑作に『トウガラシの文化誌』(1997年、晶文社)というのがあるんだけど、彼はトウガラシがない北アイルランドに留学して現地の単調な食生活に辟易としてしまい、故郷であるベンガルのトウガラシのありがたさに気づくんですね。僕も彼と似たような経緯であると言える。それからは、どこに行けばトウガラシはあるんだろうって、マーケットやお店に行った時は、まずトウガラシがあるかチェックするようになりました。立派なトウガラシ中毒ですね。

オカモトさんがトウガラシ本の傑作と評するアマール・ナージ著『トウガラシの文化誌』(1997年、晶文社)。

ゲリラ花壇がヒントに

オカモト: 大阪でも鶴橋では韓国産の青トウガラシが手にはいります。あとタイ料理の食材店でもよいトウガラシが出てることがある。防疫上の理由で沖縄の島トウガラシは大阪には入ってこなくなってしまった。去年までいた福祉系の職場では畑を任されていて、トウガラシも栽培していたんですね。ハバネロ、タカノツメ、ヤツフサ、韓国のトウガラシなど、苗を購入してはいろいろ植えてました。

だけど去年そこを辞めてしまったのですね。今僕が住んでいるところは、日当たりがあまりよくないので、ベランダ栽培もしにくくて、今年はどうしようかなと思っていた。それで、ゲリラ花壇のことを思い出したわけです。釜ヶ崎にゲリラ花壇があるんだけど知ってる?

——ゲリラ花壇?

オカモト: 釜ヶ崎の銀座通りの西成警察の近くなんだけど、大阪市が管理しているフェンスに囲まれた三角形の土地があるんです。7年くらい前かな、そのフェンスを乗り越えて、花畑にしちゃった人がいるのね。高齢の男性なんだけど、その人と親しくなっていろんな話を聞くうちに彼の心意気に惹かれていったわけです。行動力があるかなり魅力的な人物なんですね。

釜ヶ崎(大阪市西成区)のゲリラ花壇。無縁仏のためのタチアオイの花が咲いている。

オカモト:彼は釜ヶ崎で独りで死んで無縁仏となっていく人たちの魂が釜ヶ崎に戻ってきた時に、くつろげる居場所がなくてはかわいそうだからと花を植えて花壇をつくったんです。タチアオイという花が中心なんだけど、それはタチアオイがネアンデルタール人が埋葬の時に供えた花だからということなんだ。ネアンデルタール人がちゃんと死者供養しているのになぜここでは!っていう素朴な気持ちに根差してるんですね。

釜ヶ崎だけでなく現代の日本社会では孤独死や家族がいない単身者が死んだ場合の墓や供養のことなどがクローズアップされてきてるけど、彼は独力でそうした問題に向かいあっているといえます。警察とか行政から何度もやめろって言われたらしいけど、それでも彼は必死に抵抗してあそこを守ったわけです。

一度こんなことがありました。ゲリラ花壇の端の方で彼が1メートルくらいの穴を掘ってその中にいるんですね。「何してるの?」って訊ねたら、役所か警察かが監視カメラの鉄塔をゲリラ花壇の中に立てるって言われたらしい。「そんなことされたら花壇がダメになってしまうから、隅っこの方に自分で穴を掘って、ここに立てろ!」って言ったんだよね。すごいよね。あんな人物なかなかいない。それでいて優しい。僕が街歩きとかで学生さんとかをゲリラ花壇に案内すると、彼はうれしそうに、線香あげてってくれって歓迎してくれる。

初めのうちは何やってるんだろうと遠巻きに見ていた近隣の人たちも最近では応援するように変わってきてますね。少し前に彼から聞いたんだけど、近所の保育園の子どもたちが時々ゲリラ花壇に花を摘みに来るようにもなったらしいんだよね。また自分が死んだらこれを蒔いてほしいとヒマワリの種もってきた人もいて、あれは立派に育ってました。ものすごくいい展開だよね。

そのような行政の土地とか公共の土地でこっそり何か栽培するのをゲリラガーデニングって呼びます。調べると海外でもアーティストとかいろんな人たちがやってるんですね。でも、僕の場合、無許可でゲリラ的にやるよりも、誰かにお願いして育ててもらったりできないかなと思ったわけです。それで今、委託栽培という形で5か所でお願いしてやってもらっています。

——5か所も! 

オカモト: 今ここにいるナカガワさんと髙津さんと、服部天神の喫茶店と、いまの仕事場と、そしてネパール人がやっているカレー屋さん。今ネパール人のお店増えてるけど、彼らの悩みのひとつが日本では彼らの口に合うトウガラシが手に入りにくいことなんですね。だから僕の提案を快諾してくれた。実は何年か前にこのネパール料理屋には行ったことがあって、店主から日本ではよいトウガラシがないって聞いていたんだよね。服部天神の喫茶店はピーコックっていうんだけど、今年から軒先でトマトの栽培を始めたので、その脇にトウガラシも置いてもらうようお願いしました。この委託栽培って発想は、アフリカでの体験や釜ヶ崎のゲリラ花壇がヒントとなってると言えます。

『あたらしい路上のつくり方』(影山裕樹編著、2018年、DU BOOKS)におさめられている「アートセンター、路上バー、ゲリラガーデニング」(江上賢一郎)という文章では、香港のホームレスが、食べ物を得るために営むゲリラガーデニングの例が取り上げられている。他にもゲリラガーデニングは、勝手に空き地に農作物や植物を植えることで、公共の土地をどう使うかというアートやコミュニティづくりの一環や、ジェントリフィケーション(都市からの貧困層の追い出し)への抵抗活動として、世界各地で実践されている。

——なんでナカガワさんと髙津さんはトウガラシ預かってるんですか。

ナカガワ: 私は5鉢くらい預かってて、仕事で東京に行くことが多いから、その間にオカモトさんが来てトウガラシの水やりのついでにうちの植木や野菜も水やりしてもらってます。あと、私は猫も飼っていて、これまではずっと出張に連れて行っていたけど、長距離移動をいやがるようになってきたから、その猫の世話もお願いしようと思ってます。

髙津: 僕はちょっと変わった人が好きやったからね。変わっているというか、オカモトさんは普通の人ちゃうな、と思って。トウガラシの本読んではったから、トウガラシの研究でもしてはるんでっか?って。それなら協力しましょうと。

オカモト: いまの仕事の夜勤が終わったあと、僕はモーニングのコーヒーを飲みに行くんですね。髙津さんとはそこでたまたま相席になって話すようになりました。そういえば高津さんの家の生け垣の剪定も頼まれてやったよね。トウガラシ置いてもらうようになってから。それを言ってもらわないと困る。笑

ナカガワ: おもしろいね。思うのは、オカモトさんのその人柄がトウガラシの委託栽培をうまくさせているのでしょうね。私ならできない。そして、それがさらにまた人と人をつないでいく。トウガラシがいろんな人をつなげていくのがすごいと感じています。

ミシン関係の物づくりの仕事をしているという髙津さんの仕事場。オカモトさんは夜勤の後、ここで昼寝させてもらったり、パソコンを使わせてもらったりすることもあるとのこと。髙津さんは髙津さんで、オカモトさんと話をするのが楽しいようだ。

——売ったりするんですか?

オカモト: 収穫はまだだけど、売るほどなないから自分で楽しむ程度。もちろん預かってくれてる側の皆さんも新鮮なトウガラシを楽しんでくれたらうれしいです。このトウガラシの委託栽培は、僕みたいに、植える土地をもっていない人間の一つの戦略でもあるんですね。ちょっと大袈裟かもしれないけど土地所有制度に対する挑戦です。

——確かに。それに、自分で所有しないで、相手にものを委ねるということも特徴ですよね。お金じゃなく。しかもただの交換じゃないですしね。

オカモト: そうそう。一般的な交換とは違いますね。そして贈与でもない。

——これはすごく新しい感じがします。あんまり聞いたことないパターン。

オカモト: そう言ってもらえるとうれしいです。

わたしがこの取り組みがすごく新鮮だと思ったのは、土地の所有やお金を介さずに食べ物を手に入れる工夫として、今まで聞いたことがないやり方をしていたからだ。

土地の所有やお金を介さずに食べ物を手に入れる工夫には他にもいろんな方法がある。
公共の土地や個人宅の庭に生えているフルーツを採って分け合うフルーツピッキング、お金の代わりに食料を寄付して食べ物に困っている人に配るフードバンク、都市の空き地を使って農業をするアーバンファーミングなど。
どれも土地や食べ物のシェアや共有、持っている人がない人に与えるという贈与がキーワードだ。でも、鉢植えを人に預けて育ててもらうという例は、それらとは全然違う感じがする。今後の展開が楽しみだ。

後編は、オカモトさんなりのおもしろさ、アフリカ研究やトウガラシ栽培との共通点を探っていく。

後編へつづく

インタビュアー:太田明日香(取材日:2018年7月4日

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