ここここが始まって約2年。4人の編集委員の一人である藤田ツキトさんに、インタビューが戻ってきた。
前回(前編/後編)は、ツキトさんが社長を務める「株式会社シカトキノコ」の「地球防衛事業部」というユニークな事業の考え方や、ツキトさん自身の活動経歴を伺った。この2年間の間に右下からの旅に出たというツキトさん。その内容や変化を公開インタビューという形で聞いてみた。
左上で死にたい
——2年前の前回のインタビューから4人をリレーしての今回。
右下っぽさについての思うところや、取り巻く環境の変化などを教えてください。
ツキト: あれ?2年前ですか。10年くらい前の気がします。笑
仕事に関わることと、こここことして考えていることの変化はリンクしていますね。その中で一番大きな変化は「右上の旅に出た」ことかな。
——旅ですか?具体的にどのような感じだったのでしょうか?
ツキト: その前に、状況の説明をすると。
ここここ主催のイベントでも何度か話が出たのですが、ここここの図の横軸は右が改革で左が現状維持、縦軸は上が競争、下が共生ですよね。この横軸は右から左に、縦軸は下から上にゆっくりとエスカレーターのように流れてるんですよね。
改革思考(新しいこと)は、手を付けないでいると現状維持というか古いものになってしまいますよね。例えば”コワーキング”も最初は右下っぽいところにあったけど、今は資本があるところが運営して上になってきていたり、そもそも”コワーキング”ってもう世の中にあるよねと新しい取り組みにはならなくて次は左に寄ってきたり。
——時間の経過と、経済的な流れということですね。
ツキト: 右下には個人事業とかNPOとかをやりながら上に行かずに戦っている人も多いんですけど、僕は会社をやっているので会社としては上に行きたいっていうのもありました。
夢としては、左上の角で死にたいんです。
——それはまた、どうしてですか?
ツキト: 左上の角のトップは、例えると、成長しきった一流企業の創業者の会長とかだと思っていて、その人は戦ってきたからこそ、今その場所にいるんですよね。昔はきっと当時の右下にいたんじゃないかな。
あとは右下の考えはいいなと思っているけど、その考えを広めるために左上と戦って潰すとかではなく、今の右下から拡大してこの左上の角までいくのが一番いいと思ってるんです。
そしてきっとその頃には新たな右下が生まれていて、全然価値観が異なることになってる。笑
そんな状態で左上で死にたい。
——アメーバのように広がっていき、右下からはあらたな価値観が生まれてくるということですね、面白い。
ツキト: そうなるために自分がまず左上に行けるような流れを作っていきたいし、自分以外の右下にいる人をその方向に引っ張っていけたらと思っています。もちろん一人では実現できないので、同じ考えのプレイヤーがたくさんいて欲しい。
あとはここここ編集長の武田緑さんが2回目のインタビュー(前編/後編)で言ってましたけど、個人が頑張っていくにはある程度限界があって、何を言ったかよりも誰が言ったかということに世の中は影響されがちだなと。
そういう圧倒的な影響力を持つには上を目指さないと厳しいとも感じていました。
僕が右上のエスカレーターに乗るのに一番簡単なのは、会社をたたんで大きな会社に就職してしまうことなんですけど。今の会社の小さい事務所が右上にいくにはどうしたらいいのかと考えて、戦いに挑んだんです。そんな2年間でした。
地球じゃなくて野球
——具体的にどのように挑まれたのか、また挑んでみてどうだったかを教えてください。
ツキト: 今までは会社で「地球防衛事業部」というものを作っていたんですけど、あんまり地球のことばかり言ってても誰も振り向いてくれないなと思って、野球って言うことにしました。
——野球ですか?
ツキト: 目指すべき大きな山があったとして、この頂点が「地球の平和を守る」だとします。その山の大きさに対して裾野らへんのレベルで戦っている僕が、地球のためにいろんなことをやりすぎると、なにをやっている人かわからない状態になる。もうちょっと小さい山にしようと思って、野球に例えることにしました。(結果的に周りはもっと分かりにくくなったみたいですが・・笑)
——規模とか、エリアなど対象にするべきものの話ですね。
ツキト: 地球を守る人ですって言うと、ウルトラマンとかそういう実在しないものの話になってしまうんです。あと、プロ野球の新球団が作れたら結構な影響力になりますよね。
野球は今すごく地域密着になっていて、僕がやっているまちづくりのこととも離れていないんです。僕は西宮出身で阪神ファンなんですけど、野球界全体のことを考えると、試合ができる仲間(球団)が増えるほうがいいと思ってるんです。例えば阪神ファンが巨人は嫌いといくら言っても、球団がなくなったら阪神巨人戦もできないですよね。
大阪市はオリックス・バファローズという球団の本拠地なのですが、地域への愛着をあまり感じられなくて、大阪市民なのですがファンにはなれず。勝手に理想のバファローズ球団運営を妄想しています。
新球団を増やそうという話をした方がみんなワクワクして聞いてくれるかなと思って「野球」を前面に出しました。あと僕は右下意識が強く、競争してお金を稼ぎたいという意識になかなかならなかったのですが、会社にするとお金を稼がないといけないので、ここ数年ジレンマに陥りました。
そこそこ生活できるレベルで稼ぐことはできるけど、会社を運営するために稼がなければならないとなった瞬間にすごくしんどくなるというか。右下の意識を持ったまま、右上にいこうとしたんですけど、右下と右上の間にすごく壁を感じて。単純に「稼ぐぞー!」みたいな気持ちになれなくて、自分で自分にブレーキをかけていたと思うんです。
——そういうことだったんですね。
ツキト: でも新球団を作るとなると、まず30億円の供託金を払わないといけないんですよ。30億円という具体的な、でもバカでかい数字は、僕が感じていた壁のはるか向こう側にありました。地道にコツコツ稼げる額じゃない。そこで一気に思考が変わって、壁を突破したという感じです。
——球団をつくる、と言うことでお金を稼ぐことがミッションになったんですね。
ツキト: 新球団の設立を目指すのは、相当な改革思考ですから。笑 そこにまず自分を持っていくという意味です。でも本当に、球団を作った方が地球を守れるとも思ってるので、全部つながっています。
ちなみに、球団をつくりたいって言った1ヶ月後くらいにZOZOTOWNの前澤前社長が「球団を作りたい」って言ったニュースが流れたんです。僕のことを知っている人は「先越されるで!」と言ってくれたんですけど、そんなことはどうでもよくて、球団を作ろうという大手企業が現れた方が野球ファンとして嬉しかったですね。
なんなら一緒にやりませんかって言いたいくらい。笑
——面白いです!
右下に囲まれて苦しい
ツキト: そんな状況や気持ちの変化もあって、今年の2月22日に「ここここ」のイベントで今までにインタビューさせてもらった人に集まってもらって話をしたときは、実はとてもしんどかったんです。自分の思考が完全に右上に行っていたので、周りに右下の人しかいない空間は居心地が悪すぎて、自分でもびっくりしました。あとは、右上を一気に目指した結果、会社は逆に全然稼げていないし、むしろ新規事業のために相当借金を背負ってた時期だったので辛かったです。これも変化の1つではあるんですが。
——ちょうど変化の真っ只中だったということですね。
ツキト: 本来上に行こうとしても簡単に行けるものではなく、徐々に上がっていくところを一気にジャンプしたような形をとったので。今は一旦また右下に思考が戻ってきている状態です。すごい借金まみれなんですけど、思考が上に行ったことで見えたものも大きかったので、自分としては良かったかなと思っています。
2年間で右下からの旅にでたといいうツキトさん。旅に至るの心境の変化を主にお話いただきました。後半では、右下から右上への旅のあとお仕事が実際どのように変わったのかをお聞きしたいと思います。
後半へつづく
インタビュアー:奥井希(取材日時:2019年7月20日)