2016年4月に新しく「ゲストハウス木雲(もくもく)」ができた。最寄りは阪急淡路駅、京都と大阪の千里方面への分岐点となる乗換駅だ。ゲストハウス開業ブームだというが、観光地がある地方都市やターミナル駅でない場所での開業は珍しい。その上、銭湯つきでゲストはお風呂に入り放題。そのお風呂も、昭和三年から続く「昭和湯」という地元の名物湯。長年地元の人にまちのお風呂として親しまれているのはもちろんのこと、風呂桶や浴槽を使ってお風呂でオリンピックならぬ「オフロンピック」を開催する等、ユニークな取りくみでも知られている。
ゲストハウスオーナーの森川真嗣(もりかわまさつぐ)さんは昭和湯の三男坊。「左下的な」地域活動に参加しつつも、その中で自分なりに「右下らしさ」を模索している。そのスタンスについて伺ってみた。
おカネ、自己実現、社会貢献
森川さんは生まれも育ちもここ淡路。同じく淡路出身のコアプラスの武田緑さんとは旧知の仲
森川: この4つの分野を分ける時に、働くとかお金をどう儲けるかみたいな話から考えると、捉えやすいのではないかと思いました。人が嫌がる事をするからお金がもらえるという発想ってあるでしょう。
——ありますね。
森川: そういう、人が嫌がる事をする事でお金がもらえて、時々ラッキーな人や才能に恵まれた人が、自分がやりたいことでお金がもらえるような分野を仮に左上とすると、そもそも社会のみんなには役割があって、それを担えば対価はもらえます、というのが左下。右上が、ベンチャー企業みたいな発想で、誰もやっていない分野にぼーんと飛び抜けると大もうけできるような発想。で、右下は自分の好きなことをやってそれで食べたい、もっと言うと、少々しんどさやリスクを背負っても好きなことにチャレンジしようと思える人たち。
——社会での役割の果たし方を義務と捉えたときに、義務で嫌々やるか、義務だからこそ、それがやりがいみたいに思うかってことですね。例えば、地域活動やPTAを嫌々やるようなイメージじゃなく、子どもと関われるし、学校もよくできるしいいじゃないか、みたいな感じで。
森川: そうですね、それに近いかな。ただまあ、人のためにやっているように見えて、自分のやりたいことやっているだけやんか、というような批判のされ方もありますよね。そこに自己実現を求めすぎると右上の人たちと重なってくる。
——はい。
森川: それから、働くときによく言われる、自己実現と社会貢献と会社に利益をもたらすことという3つのことがありますね。これで言うと、会社に利益をもたらすのが左上で、社会貢献が左下で、自己実現が右上なのかな。すると、その3つのバランスを取ったような右下的なものがぼんやりある。
——なるほど。
森川: 仕事でこの3つのバランスはすごく大事で、金銭的に成り立たないと仕事にならないし、そのために会社を儲けさせることももちろん大事で、でも、社会貢献にも関与しないとだめで。その仕事の中で自分のやりたいこと、自己実現がないとそもそも仕事を続けにくい。
——それを自分の仕事とつなぎあわせて考えてみるとどんな感じですか?
森川: 僕は実家が自営業をしている影響が大きくて。でも、風呂屋が今の時代の流れでどんどん潰れてる。乱暴なことを言うと、風呂屋を閉めて、テナントを入れたり、人に貸した方が断然儲かる。今銭湯の経営をしている兄なんかは、いよいよお風呂があかんとなったら、最終手段はそうすると思う。ただ社会貢献的なことを言うと、地域で周りのお風呂がなくなっていくなかで、「ここはつぶさんといて」という人は多い。その人たちが、いいお風呂やったと喜んでくれるのを見ると、やめられへんなと思う。自分としても、昭和3年から続いている風呂屋を潰したくない気持ちはある。
——この辺一帯は、お風呂がないお家に住んでいる人が多いんですか?
森川: 少ないですね。でも、他の地域に比べれば、まだ、風呂無しの住宅が残っている方なのかも。ここのゲストハウスになっている建物も、元は長屋で一部風呂なしで。そこのおばあちゃんが毎日通ってくれてたんです。そのおばあちゃんが引っ越すので、建物をどないかしてくれという問い合わせがあって、結果、ゲストハウスになりました。
——お客さんは地域の方で、おうちにお風呂もあるけど、昭和湯も好きで通っている方が。
森川: 多いと思います。単身高齢者の方が多いので、自分の家でお風呂をわかすのがなかなか億劫で、湯船に浸かりたいけど面倒臭い、回数券420円やし、しゃあないか、と来てくださる方が多いんじゃないかな。兄が経営している風呂屋はそういう状況で、僕自身はゲストハウスの経営をやっています。
昭和湯創業時、オフロンピック、アヒル風呂 地域のお風呂から、地域の遊び場的な存在へ、時代に合わせて変化している昭和湯
ゲストハウスで銭湯再生?
——オープンして1年ぐらいと聞きましたけど、できるまでの経緯はどういう感じですか?
森川: この前の職業がケースまちづくり研究所という会社で、建築の設計みたいなこともやりつつ、地域活動協議会を立ち上げるための支援等もやっていました。社員は10人くらいで、構造設計やる人、設計をやる人、まちづくりをやる人等がいました。
——森川さんはそこで何をしていたんですか?
森川: 5軒ほど設計に関わる業務もやりましたけど、メインでやっていたのは、まちづくりの活動支援です。例えば市営住宅の老朽化が進んで、建て替えるとなった時に、建て替えの間だけ仮住まいに引っ越しをしてくれ、と言われても、もともと住んでいる人たちは住宅に困って市営住宅に住んでいるから、いきなり言われてもできないんですよ。だから、僕らみたいな人が入って、みんなとワークショップしながら、建て替えの間はどこに引っ越したら良いか、何とか引っ越しを1回にできないか等、お一人お一人に納得してもらえるようにする。その方の生活実態をヒアリングしながら調整していくような仕事でした。
——一人一人! まちづくりというと、建物の外側だけというイメージですけど、実際は対ヒトで、生活に入り込んでということも大きいですね。
森川: そうですね。でも、まちづくりという言葉がなんだか嫌いになってしまって。なんか、うそみたいな感じで思ってしまって。まちづくりは大げさすぎて、自分たちのやっていることは町の清掃とか、町の整理整頓みたいなことやなと。
——そういう仕事からゲストハウスをやろうと思ったのは何かあったのですか?
森川: やっぱり自分の地域のことをやりたくて。前職でも淡路の商店街で地図を作る仕事等はしていたんですが、会社としてはそういう、お金になりにくい業務は重要ではないし、僕も忙しいから後回しにしてしまう。それで、何をやってるんだろうという感じになって。地域のことをやるといいながら、地域のコンサルの先生みたいな立ち位置で、口だけ出して地域の人からお金をもらうというのは、自分には無理だと思った。地域の中で、自分で食べていける仕事をつくって、その上で、地域の一員として参加している方がいいな、と。7年ぐらい勤めている最後の3年ぐらいそんな気になってきて、タイミングを見計らって辞めようと。
——へー。
森川: 多分その根っこは、うちの父親が地域の活動に熱心だったことも関係するのかな。父親はスケジュールのほとんどが地域の用事だけで埋まる人生で、本職は何やねんという感じで、結果的に母親がかわいそうやな、と幼心に思っていたので。自分がそういう地域活動を仕事にして、食べていけたら、ある種の救いになるんじゃないかという思いもありました。
インタビュアー:太田明日香(取材日:2017年7月17日)