後半はこの3足のわらじをいかにはき分けているか、釜中さんなりの「稼ぎ方」「まちづくり」論を伺います。
木のある暮らしを提案したい
森川: 木のある暮らしをきちっと商業ベースに乗せたいというのは、すごくわかります。安い方がいいからと外国材を買って、結果的に日本の森林を滅ぼしてしまったら、国産材がますます流通しなくなってしまう。だから、きちっと日本の森林の維持も考え、いい値段で木を買ってほしい。そういう考えは非常に右下っぽいと思います。
素材としての木の良さを広めたいだけでなく、森林の維持が僕らの社会の維持に非常に根深く繋がっているところまで考えてしっかりやろうということですよね。いい家塾でも木造住宅をすごく押していますよね。
いい家塾でサンプルとして使っている床材。いい家塾では日本の伝統的な工法で建てる木の家をアピールしている
釜中: 父の考えはそうですね。ただ、僕はもうちょっとライトな感覚で身近に木を感じてもらう商売もできないかと思っています。
極端な話、コンクリートの打ちっ放しの空間が好きな人に「木の方がいいです」と勧めるより、「ここにもうちょっと木を入れたら室内環境がよくなります」とか、「もっとコンクリートが映えたり木も活きますよ」という提案をしていきたいなと思っています。
——具体的にはどういう感じですか? 実際に木を売るとか、木の器を売るとか、「木を生活に」っていろんなやり方があるとは思うんですけれど。
釜中: お客さんの希望に、「こういうことができる人がいます」と繋いであげるコーディネーター的な役割になって、そこで対価を得られる仕組みを考えています。ちょっとした家具を簡易に作るとか、賃貸マンションでDIYを手伝いますよ、みたいな。
ただ、材料の木は、知っているところで育ったものを使って、「これは本物の木で、こういうところで育ったものだから」と提案したいです。自分の持っている工具を貸してあげて、一緒に作ったりもいいですね。小商いですけれど、そんなことができたら楽しいなと。
森川: 中身を知るために勉強するのって大事ですよね。食べ物なんかだと作っている人との関係が近いけど、建物は依然その距離が遠いですよね。構造も素材も一見してもわからない。それがわかるようになると住んでいる側としても安心だし、自由になれる。触っちゃいけない、切っちゃいけないという感じだと、住まわせられている感があるけど、中身がわかっていると、自分で住んでいるという気になる。
釜中: 建物の技術って、生きて行く上で根源的というか、かなり重要な職能ですよね。
いい家塾のメンバーの工務店に、元美容師の大工見習いの方がいるんです。僕と同じ35歳で、その方の大工をめざした理由が、東日本大震災のあと自給自足の生活をしたいと海外に生活しに行った時に、自給自足のためには大工技術を身につけておいた方がいいと思ったからだそうなんです。なるほどな、と思って。
大工志望の人って仕事として目指している方がほとんどなんですけれど、その方は生きるために目指していて、手に職というのはこういうことなんかなと思って。
森川さんのお話で言うと、家を商品として買ってしまっているから中身がわからないんですよ。実はぺりっと剥がして新しいものを貼ったりしやすいもんなんですよ。その大工さんまでいかなくても、せめてちょっといじれるぐらいがいいんかなと思う。
仕事でも、仕事以外でも木に関するイベントが多い
森川: 建物のちょっとした修理でも、自分ができないから、お金を払って直してもらうことになる。木の家とか木を身近にというのは、それとは逆の方向性なんじゃないかと思うんですよね。
釜中: そうですね。まあ、まず自分が木が好きというのが一番にあると思うんですけど。
身の丈にあった稼ぎ方
釜中: お金の話をすると、どれくらい自分に必要かと考える時があって。結婚してからすごく生活が変わったんですよ。第一に夜に人と会うことが少なくなって、交友関係もがらっと変わりました。というのも、妻がちんどん屋さんなんです。だからちんどん屋さんのイベントに子ども連れて行ったりすることで、今までとは違う交友関係が広がるようになりました。
——えー、すごいですね。
釜中: 自分も含めて、家族という単位でお金がいくらいるんかなと考えた時に、自分の好きなこともしつつ、会社で無理なく儲ける方が精神衛生上いいと思ったんですよ。ただ、全部のことで対価が得られるわけではないので、3つくらいの活動を並行しつつどこかで帳尻を合わせて、生活費がまかなえるような働き方をしたいなと。
人は絶対にお金が欲しいし最低限は必要。家族が生活できる範囲でちゃんとお金を稼がないといけないし、対価を得ないといけないんだけど、持ちすぎても疲れると思うし、さらにその上を求めてしまう。
会社を大きくするために、家族の時間を減らしてしまったら本末転倒やとも思います。僕は豪邸に住むより自分のスケールにあったサイズで、賃貸でもいいから生きていきたい。そう考えたら、するべきことって限定というか、選択できるんじゃないかな。
まちづくりのスケール感
釜中: オープン台地は2016年3月に協議会が解散して、今は規模を縮小してやっています。最後の方はだんだん規模が大きくなってきて、その分手応えみたいなのが薄くなってきて。僕自身もすごく疲れちゃったんですよ。今後の予定ははっきり決まっていませんが、新しいイベントをするなら、もっとこぢんまりして、僕やメンバーの好きな場所を紹介して、参加してくれた人にその場所を好きになってもらう、というような生活に根付いたものをしたいなと思っています。
——まち全体の範囲から視点を変えて、個人とか一人ひとりに即したようなものにしようとする感じですかね。
釜中: 僕は物を持つのがあまり好きじゃなくて、できるだけ少ないものでやれたらいいなと思うんです。それと関連する話なんですけれど、法律上の「所有」ではなくて上町台地全体を自分のまちやと思っている感覚があるんです。自分だけのまちではなく、みんなと共有しているという感覚に近くて。そういう感覚を持っている人同士が、自分の一番の好きなまちの部分を個人の視点で紹介していったら、最終的には上町台地全体を紹介していることになるんじゃないかなと。
「この人の話を聞いたら面白いな、刺激があるな」という面白い人が何人かいたら、その人の生活を見せてもらうだけでも、最終的に面白い企画になっているんじゃないかなと思うんでよね。
それぞれができることをできる範囲で、ちゃんとコンセプトを明確にして。お金とか助成金とかもらっていない団体だからこそできることがあるかなと。そんなにお金もかからないと思うんで、経済的やろうし、最終的に参加した人がメリットを得られるようなことができたらと考えています。
上町台地周辺の緑のあるスポットを紹介したいと作ったマップ。デザインは藤田ツキトさん(前編/後編)
森川: オープン台地のエリアは、正直言うと僕の感覚では広すぎて、釜中さんの言う個人の視点で語るにはだいぶ広いと思ってしまうんですが。釜中さんにとっては、上町台地の中で愛着に差はあるんですか?
釜中: 全然ないですね。どこが一番というより、どこもいいところがあって好きなんです。
森川: へー。
釜中: それぞれエリアの特性があるから、自分の体調とか、時間帯や、飯食いに行くのか、ぼーとしに行くのかでも変わってくるし、子どもと行くとかTPOに合わせても使い分けができるという面白さはあって。
ただ、生活している場所が上町台地やから地域としては一番好きですけれど別の地域が嫌いではないです。自分がどこに片足置いているのかなというのを、確認するための上町台地なんかなって。
上町台地の範囲もいろんな見方があると思うんですよね。もっと大きい概念でいうと、住吉さんまで上町台地という見方だってあるし。
オープン台地のエリアとなっている「上町台地」は、天満橋駅周辺から住吉大社あたりまで広がる高台の中でも、天満橋駅周辺から天王寺駅付近までを指す(サイトより)
森川: スケールの調節の仕方が、けっこう難しいと思うんですよ。僕の中で、地図でいうところの2500分の1とかが、まちづくりを考えるときのサイズなんかなって、勝手に思うのですが。
釜中: 上町台地のエリアって、逃げ場があるというか、うやむやにできるサイズ感やと思うんですよ。
まち関係でお付き合いしてる人は「上町台地」で繋がっているけど、それぞれが自分のメインとして軸足を置いている場所が細かくあって、「上町台地」という共通な場所におるけど、お互いに軸足置いている細かいところまでは知らん。上町台地という名前のメリットも生かせるし、ややこしいことにはお互い知らん顔できるスケール感はいいんじゃないかなと。
森川: 逆に言うと小さくなりすぎると、しんどなるというか、逃げれんようになりますよね。
釜中: だから概念なんですよ。上町台地って。
——地形ですよね。
釜中: 地形なんですよ。上町という地名はあるんですけど、「台地」まで入るともやっとしている。
あと、僕はこういう活動をしていながら、「まちづくり」という言葉は苦手で。できあがっているのに、作るってたいそうやなって。
森川: (笑)まったく一緒。
釜中: まちは勝手に変わるところも変わらないところもありますよね。人は動けるし、考えも修正はしやすい。「まち」のことをしているけど、根っこのとこでは人と関わっているというところをちゃんと念頭に置いておかないと、という思いがあるので、「まちづくり」という言葉は苦手なんです。
でも、ちょっと浸透してしまっているんで、変わる言葉が無いっていうかね。使わないようにしているですけど、説明する時にはそういう言葉、その単語じゃないと伝わりにくい。だから苦手です。
目指すは住職的ポジション
——ご自身を右下でいうとどの辺に位置すると思いますか。
釜中: そうですね、多分、めっちゃ下じゃないと思うんですよ。僕は何か変えたいとも思ってないんで。社会を変えたいとかじゃなくて、まわりの仲良い友人とか一緒に自分のフィールドで楽しめたらいいな、というところなんですよ。そういう意味で小さいイベントで顔が見える範囲で伝えたいというのがある。がちがち変えたい派ではない、でも今までが決していいと思っていないから、右下の中の真ん中ぐらい。
森川: 真ん中ぐらい、わかる気がする。意外と現状維持派寄りなのかもしれないですね。
釜中: 完全に右下の人は、僕というより、周りの人かもしれないですね。僕は特殊な技術を持ってないので、技術を持っている人や面白いなという人と一緒に何かする。調整じゃないですけれど、ディレクター。
森川: たしかにそう。釜中さんはディレクターの立ち位置が多いですよね。
——ディレクターだと極端な人の調整が必要だから真ん中に寄りますよね。人のお話聞いて、誰にとってもいいように努めるという感じ。一番必要なポジションですよ。
釜中: ディレクターではなく、もしプレイヤーとして動くとしたら、使える時間と体力のバランスですね。タイミングがあえば、なんかエッジの効いたことをしたいな、と思います。なかなか考えだけで動いてないですけどね。
森川: 話は変わりますけど、釜中さん「住職」とか似合いそう。最近聞いたんですが「住職」って「住むことが仕事」って事なんですって。
もともとお寺にゲストハウスみたいな機能がお寺にあって、その中に住職さんがいて、人を受け入れるホテルみたいな役割をしていたらしくて。僕も、お坊さんではなくて、現代の住職にはあこがれるなぁと思って。
釜中: 僕も以前同じことを人に言われました。僕のやってることを説明したら、「それって住職やんな」って。将来的には木の家を作ってゲストハウスみたいして体験宿泊して、最終的にはその家を販売したいなと思っています。新しい家って外見はよくても入ってみたら違和感がある場合もあるので、何日か泊まったり料理したりできるような場所が、奈良あたりでできたらなと。土地が安いし、環境もいいし。土日はそこで接待を、住職をしながら(笑)。
森川:ようわからない悩み事相談とかそこで行われたりしたらいいですよね(笑)。
釜中さん、ありがとうございました。
インタビュアー:太田明日香(取材日:2017年10月3日)