“葬式をしない寺”・浄土宗應典院(おうてんいん)の主幹を務める秋田光軌(あきたみつき)さん。後編では、秋田さんが大学院で勉強された臨床哲学、家業を継ぐということ、仏教の右下っぽさなどについて伺いました。
自分なりの宗教観 大学院の臨床哲学で
——應典院に入ってからの変化みたいなものはありますか?
秋田: いろんな人との出会いによる変化はあると思うんですけど、ベースはそんなに変わっていないですね。應典院に入る直前には、大阪大学の大学院で臨床哲学を2年間やっていたんです。その時が、自分なりの宗教観のベースを作った時期だったかなと思っています。それと修行が時期的に平行していました。
——へぇーー。
秋田: 宗教っていうと、けっこう思考停止してガーッっていく、みたいなイメージがあるかもしれないんですけど、私の中ではそれは無理だったんですね。イデオロギーに拠り所を求めると、安心する一方ですごく排他的になったりするじゃないですか。ナチスとかもそうだったのかもしれないですけど。そういう拠り所を獲得するのではない方法で、つらい状況でも人がどういう風に生きていけるのかを考えたかったんですよね。大学院の時に自分なりには一定の理解ができてきたって感じです。
——ちょっと素朴な質問なんですが、「臨床哲学」ってどういうものなんですか?
秋田: 臨床哲学にもいろんな解釈があるんですけれども、簡単に言うと、哲学っていうものを大学の研究室の中だけに閉じ込めるんじゃなくて、日常で親しんでいる言葉を使って社会の様々な現場でできないか、そういう考え方であり実践ですね。臨床哲学が日本で始まったのは確か1998年前後なので、時期的に應典院の再建ともほとんど同じなんですね。
——へぇ~。
秋田: 「哲学カフェ」って今ちょっと流行ってると思うんですけど、大阪大学大学院臨床哲学研究室のみなさんが日本で一番最初に哲学カフェをやったのはこの應典院なんです。2000年のコモンズフェスタでやったそれが、日本で初めての事例だっていう風に、哲学カフェの本では紹介されています。
——そうなんですか!
應典院の研修室A。なんとこの部屋が、日本で初めて「哲学カフェ」が行われた場所だそう。
秋田: …というようなご縁もあったりして、自分なりに宗教のこととか、人が死ぬっていうことを考えようと思ったら、仏教系の大学ではなくて、哲学の方が自分には合ってるなと思ったんですよね。仏教のことも勉強しつつ、もっと幅広い、西洋の考え方だったりとか、社会の中での考え方だったりってところと、どう折り合わせることができるか、みたいなことに関心があったんです。それで、臨床哲学に行ってたんですけど。
——なるほど~。それを聞いて、すごいしっくりきますね。仏教の勉強だけしても應典院はできなさそうですよね(笑)。
秋田: そうですね。けっこう、他のお寺のお坊さんたちと話してても、あんまり共通の話題がないことが多いです(笑)。
——(笑)!
秋田: 全くいないわけじゃないですけどね、もちろん。
應典院=Outenin のロゴマークは、スペルの中に含まれる“Out(外)” “en(縁・円)” “in(内)”を表現。「呼吸するように、お寺の外と内とをつなぎながら、縁・円をつくり出していく」という思いが込められている。
家業を継ぐということ
——家業を継ぐということに対しては、どんな風に感じたり捉えたりしてらっしゃいますか? 自由にいろんな選択ができる今の時代の中では、お寺を継ぐというだけでもいろんな葛藤があったりはすると思うんですけど、それに加えて、應典院って不思議な家業じゃないですか(笑)。
秋田: 不思議な家業ですね(笑)。 まず、よく言われる「敷かれてるレールに乗る気がして嫌」みたいなところに関しては、もう自分の中で乗り切ったというか、納得して選び取った道なので、そんなに気にしてはいないです。
——じゃあ例えば、今自分がやっていることに葛藤みたいなものがあったりとか、より今後ご自分がここの主体になってやっていく時に、もっとこんな風にしたいとか、この部分は変えたいとか、そういう部分はあったりしますか?
秋田: ありますあります。家業であることの悩みっていうと、やっぱり親ですよね(笑)。應典院で今やっていることも、充実していてとてもやりがいを感じているんですけれども、同じような問題意識を持ちつつも、父の方向性と自分の方向性の微妙な違いなんかはあります。
——自分のしたいこと…ってのは、例えばどんなことなんですか?
秋田: 住職の関心は、どうやって葬られたい(葬りたい)のか、死生観や葬送のあり方への学びも含めて、自分がどう生きるかを見つめた方がいい、というところに力点があるんです。お葬式は安ければいい、お坊さんとの付き合いはめんどくさい、という風潮になっているけれど、それで本当にいいのかと。一方、私が関心があるのは、世の中の人たちが、すごく今、周りの人やメディアから言われていることに影響され過ぎて、自分主体に生きられていない印象があることなんですね。みんな「~すべき」に縛られてると思うんですよ。
——それは、私も本当にそうだと感じていますね。
秋田: 実は宗教と関わるっていうのは、単に仏様にすがるとかってことを越えて、その宗教の“物語”を選んで生きるってことだと思うんですよね。どうすれば人々が、もうちょっといろんな物語を相対的に見て、「自分にとって、これだ」っていう生き方を選べるんだろうかという問題意識があるんです。もちろん、どうやって葬られたいのかというテーマにも全く同じことが言えるんですけど、私の年齢もあって、若い人にとっての身近な苦しみについて考えたいんですね。なので、そのあたりは、應典院でのこれまでの活動とはちがう、新しい動きを立ち上げていかないといけないかな、って最近思ってるところなんです。
——なるほど。それも素晴らしいビジョンですね。
仏教における「智慧」と「慈悲」は、まさに右下
——「ここここ」は、「右下っぽさ」を探求するというウェブマガジンなんですが、この図で言うと、秋田さんは、ご自分ではどのあたりだと思われますか?
秋田: この図を前提にしたら、個人的な志向性で言うとここ(一番右下の端)になるんですね。なるんですけど、本当は・・・ここ(全体を丸く示しながら)ですね。右左上下のどこかじゃなくて、この全体です。
——おーーー。それはどういう意味ですか?
秋田: 改革も現状維持も競争も、一概に良いとか悪いとかは言えなくて、競争した方が最終的にいい時もあると思うし、そういうことを含めて言うと、割とこの全体の中から見ていかないといけないな、と思うんです。確かに共感はできない他者もいると思うんですけど、でもやっぱり自分とは違う世界で生きている人たちもいる中で、じゃあどうやって右下らしさを発揮していくかってことを考えるには、やっぱり全体がフィールドになってないと。本当に右下であろうとすれば、右下だけに閉じてたらたぶん駄目かな、という気持ちがあるので。
——どの立場も俯瞰して見れることは大事ですよね。
秋田: さっき思いついたので、ちょっと話してみたいことがあるんですけど。
——はい。ぜひお願いします。
秋田: たぶん、仏教は右下の思想的な基盤になると思うんです。
——ほう。・・・?
秋田: というのは、仏教の教えで「智慧」と「慈悲」というのがあるんです。この「智慧」と「慈悲」をどちらも実現させるというのが、基本的には仏教の最大の目標なんです。「智慧」というのが、これが「改革」に当てはまると思うんです。「智慧」というのは、つまり変化することに対する正しい認識だと言えます。この世の中というのは、無常で、いろんな物事が常に移り変わっていってるはずなんです。現状維持というのは、変わってほしくないものに執着し、変化を認めないという態度ですよね。
——そうですね。変化から目を逸らせたり、変化に気づいていないふりを押し通したりする人もいますよね。
秋田: いろんなことが変わって、社会も動いていってるのに「いや、このままがいいんだ! 伝統が一番なんだ!」と言ったりする態度が、移り変わっていることの否定になると思うので、世界や、一人の人間の中にも常に変化が起きていて、それをちゃんと認める中から行動していくという意味では、たぶんこの「智慧」というのは「改革」に当てはまるんですね。
——なるほどー。
「智慧」と「慈悲」について、ホワイトボードに書きながら説明をしてくださった秋田さん。思いがけずミニ仏教講座を開いていただいた形になり、とても勉強になりました。
秋田: でも、ただ単に「改革」だけだと、もしかしたら自己中心的な改革になっちゃうかもしれないじゃないですか。場合によっては、自分さえよければいいという方向にどんどん変えてしまうということもあるし・・・。なので、「慈悲」も大事なんです。「慈悲」というのは、世の中や他の人たちがどうなのかを考えるってことなんですね。わかりやすく言うと、「他者のために」みたいなことなんですけど。これが「共生」ですよね。どちらかだけでは駄目なんですよ。
——おぉぉぉぉぉ!!!
秋田: 逆に「慈悲」だけしかないと、「他者のために!!」って方向に執着してしまう危険性があるので駄目なんです。なので、仏教は基本的に、右下なんです(笑)。
——面白いですね!
秋田: おそらく仏教者は、これを聞いたらほぼ全員、右下って言うと思います(笑)。
——は~~~(拍手)。めっちゃいいお話を聞かせてもらいました。
秋田: 最近、仏教のポテンシャルってすごくあるなぁと改めて思っていて。ひとつの、倫理的な指標というか。「信じなさい」というよりは、「この考え方に則って生きていくと、なんかいい感じちゃう?」みたいな・・・(笑)。
——(笑)。
秋田: それくらいの軽さで、仏教がいろんな人に親しんでもらえるようになったら一番なのかなぁって思ったりします。
——秋田さん、ありがとうございました!
インタビュアー:徳田なちこ(取材日:2018年1月23日)