前半はうじゃの概要と、ナカガワさんがうじゃを始めるまでの経緯を伺いました。ナカガワさんは2011年の福島の原発事故をきっかけに、関東から関西に拠点を移します。後半は大阪の釜ヶ崎での活動、うじゃにかける思いを伺います。
トップの写真:参加型ステージ集合写真。毎年お盆に各地から集まったうじゃる人たちがこのステージに立つ。釜ヶ崎の夏祭り/大阪 Photo by 淺川敏
震災と原発事故で関西へ移住
——関西に移ったのは2011年の原発事故がきっかけですか。
ナカガワ: そうですね。もともとわたしは神経が過敏なところがあって、東北の震災以後体の異状が出るようになったので、これはまずいなと思って移動することにしました。
——どうやって釜ヶ崎にたどり着いたんですか。
ナカガワ: 2011年の夏に知人がココルームを紹介してくれ、そこでその後一緒に活動してくれる人たちと知り合いました。そしてその年の秋、東北の震災を支援する扇町公園でのイベントにうじゃが参加した時に、夏に知り合った人たちがたくさん来てくれて、初めてなのにみんな「うおー」って盛り上がってくれたんですね。
参加型のステージなので、居合わせた障がいのある人たちを巻き込んだのがよかったようで、「一緒にやるぞ!」と。そこからいろいろ協力してくれる人が一気に増えて、その年の冬には釜ヶ崎の三角公園での越冬祭り(1970年頃から毎年、日雇いの仕事がない冬に、労働者の人たちが餓死や孤独死しないように元気づけるために行われる。お盆には慰霊も兼ねた夏祭りもある)に「参加しませんか?」と声がかかり、それから三角公園のステージでうじゃをやるようになりました。これは現在も続いています。
参加型ステージ。釜ヶ崎の夏祭り/大阪 Photo by オカモトマサヒロ
結成当初から出し続けている『うじゃーナル』
——2012年にワークショップに参加した時は、いろんな人がいてみんなをまとめるのに苦労していた印象を受けました。
ナカガワ: あの時は参加者が粒ぞろいで際立つ人が多かったですね。でもこちらが本気でやるとけっこう伝わるものです。本気でやりあったからこそ、今があるなって。ああいうワークショップやステージをふんだらもうどこも怖くない(笑)。
うじゃは遊びじゃなくて○○○○
——猛獣使いっぽいですね(笑)。 話は変わりますが、うじゃのすごいところは、「障がい者」とか「健常者」かとくくらず、分け隔てなくやるところだと思うんですが。
ナカガワ: 最終的な目標は、その人の肩書とか立場とか障がいの有無とか関係なしに「うじゃー」っといろんな人が混ぜこぜでできるようになるのが理想ですからね。けど、最初から一緒にやるとうまくいかない場合もあるので、段階的にですが、分けてワークショップをやることもあります。
たとえば先日の東京では、「健常者」、「障がいのある人たちとその保護者・介助者」で一旦分け、最後一緒にワークをするという方法をとりました。保護者・介助者がなるべく見守り体勢にはいらないよう気をつけました。障がいのある人たちはほっといてもやってくれるんです。ある意味ものすごく自由で、スイッチがはいったら弾けるような踊りをしてくれたりね。でも周りにいる大人たちはそうじゃない。障がいのある人がいたらその人を見守らないといけないっていうのが出てしまって遠慮したり、他人の目を気にしてしまったりね。だからうじゃに参加してもっと素を出してほしいんです。この点に関しては障がい者を見習ってほしい(笑)。
——おもしろいですね。
ナカガワ: それともうひとつ、障がいのある人とのかかわり方をもっと知ってもらいたいからなんです。「支援」っていう立場だけでなく、同じ目線で何ができるかを探ってほしい。もっとフラットになったらいいなって思うんです。なので、うじゃで一緒に遊ぶことをとおして探ってもらえればと。
音っとっとワークショップ〜障がいをもつ子とその親で学ぶ“からだ”と“リズム”の可能性/東京 Photo by 木村雅章
——職員は職員で仕事中だし遊べないという事情もありそうですが……。
ナカガワ: 違うんですよ。遊びじゃないんですよ。これはね、人の意識を変える社会的な取り組みだから、単なる遊びじゃないんです。こうしたことを理解してくれる大人が増えたら嬉しいなと思っています。
フラットな関係を築いてほしい
——ナカガワさんの目指すところは、うじゃでフラットな関係を体験してもらい、福祉の日常の現場に還元してほしいということなんですね。でも、それってかなり難しいと思うんですが……。
ナカガワ: そう。難しいよ。でも実際に福祉の現場で頑張っている人を私は何人も知っています。
——どうしてナカガワさんはフラットな関係を求めるんですか。
ナカガワ: 例えば施設のなかで暮らしている人にとったら、それが彼らの人生なんですね。私たちは帰ってビール飲んだり、映画見たり、好きな人とデートしたり、自分で好きなことをできるけど、そこに人生がある人たちにはどれくらい楽しみの選択肢があるのでしょうか。働きにきてくれている人が少しでもユーモアをもって楽しくかかわってくれる方がいい。
参加型ステージ。釜ヶ崎の夏祭り/大阪 Photo by 江里口暁子
うじゃは右下?
——ほんとにそうですよね。今は福祉も、数字を求めたり、効率化が叫ばれたりしていますから、以前と比べると職員さんの自由度が失われていっている部分が大きいと感じます。ちなみに、うじゃの活動は右下っぽいって思いますか。
ナカガワ: そもそも競争はしてないよね。だったら右下っぽいかもしれないです。
知り合いの紹介で、自閉症の少年と一緒に絵を描く仕事をしているんですが、彼のお母さんも福祉制度の変わり目のなかで、気持ちが揺れている。
最初は息子さんの絵を純粋にほめていたのが、もっと成果を求めるようになったり。どうしたら評価されるとかね。だけど「ナカガワ先生にお願いしたのはこの子が一生楽しめることをつくってほしいからだった」ってことを思い出してくれたんですね。これはうじゃにもつながることですが、競争して他人の評価とか勝ち負けみたいな結果を求めないっていうスタンスは、右下といえるでしょうね。
移動造形教室〜一緒に造形活動をしている松田春樹さんのカレンダー/東京 Photo by ナカガワエリ
松田春輝 カレンダー展_岩崎博物館/神奈川 Photo by ナカガワエリ
ちなみに、今回取材同行した椎名さんによると、今は福祉業界の変革期だそうだ。昔は母親たちが自分たちの子どもが将来的に通える場があったほうがいいということで、自分たちで作業所をつくっていた。それが左下的な位置だったとすると、今はだんだん制度化されて国の予算がつくようになり、左上っぽくなった。さらに今後は障がい者も納税者にするために就労支援をするという、右上的な方向に移行するという状況がある。そういう点から見ても、ナカガワさんの活動は右下的と言えるかもしれない。
——ご自分では右下っぽいと思いますか?
ナカガワ: こういう質問されたら、右下って答えるしかないですよね(笑)
——右下のどのへんですか?
ナカガワ: えー、どのへん? うーん、どうでもいいんじゃないかな?(笑)
と言いつつ、おずおずと指を指すナカガワさん。
ナカガワ: 話は変わるけど、たまたまなんですが去年から野良猫を飼い始めたんです。はじめのうちは「猫を助けた」みたいに考えていたけど、逆にこの一年を振り返ると、猫から助けられた部分が多かったなって。
しゃべれないものと何かやりとりするのって、うじゃと一緒だなとか、原点に返れって言われてるのかなって思ったりして。だから私は「ニャンコ先生」って呼んでます(笑)。ほんとににニャンコ先生と一緒にいるといろいろ考えることがたくさんあって気づきも多いです。
人間に飼われている動物って弱者じゃないですか。でも私たちの都合で去勢させられたり、繁殖させられたり、売るのに適さない子は殺されたり。それって障がい者の問題にも通じるんじゃないかとか思っています。うじゃの活動とあわせてこれからそういうことも考えていきたいですね。
ナカガワさん、ありがとうございました。
インタビュアー:太田明日香(取材日:2018年3月31日)