笹尾和宏さん(前編/後編)がバトンを渡したのは古本屋のメガネヤ(Facebook/Twitter)さんこと、市川ヨウヘイさん。毎月一日に映画の話をする「スナック朔日(ついたち)」や、毎週木曜日にカフェでそこに来た人とおしゃべりする「メガネヤが朝から開いている日」などを開き、その活動は本を売るだけにとどまらない。右下的な古本屋って? 市川さんの活動全般についてお伺いした。
そもそも古本屋なのか?
——まずはメガネヤの紹介をお願いします。
市川: 今39歳です。オープンしてもう10年を過ぎました。大学在学中の20歳前に古本屋のバイトから始めて、古本屋に就職して、退職した27か8歳ぐらいのときに京橋のワンルームで店を始めました。そのあと南森町に移転しました。
仕入れは買い取り中心で、古書組合には入っていません。お客さんはいろいろですね。一見さんもいますし、常連さんもいます。ネットでは売ってなくて店舗だけです。
——どうして独立しようと思ったんですか。
市川: 最初に勤めた店はブックオフで、二軒目は似たような大型店でした。そこでは割と自由に、棚作りや値つけなどをやらせてもらいました。一日の買い取り点数も、売り上げ金額も大きくて、利益が出る値段のつけ方と店の作り方を考えなければいけませんでした。20代の前半は古書業界にどっぷりでした。でも、働きながら、陳列しきれなくて売れない本があったり、お客さんが触りすぎて痛んじゃう本があったりして、それがもったいないと思って、もっと他にも本の売り方も試してみたいと思うようになりました。でも、自分の勤めている店で試すのは難しかったから、新しい店を自分でしようと思ったんです。それでも店を辞めて独立するつもりはなかったんですけどね。勤めたままするつもりでした。たまたま辞めちゃったので。独立みたいになってしまいました。
——どうして古本屋なのにメガネヤなんですか?
市川: 僕は大学を出てなくて、中退してるんです。今中崎町でコモンカフェ(日替わり店長によるカフェ・詳しくは『コモンカフェ』(西日本出版社)参考)をやっている山納洋さんという方が、以前東通商店街の奥の方にシングルズという日替わりマスターのバーをやっていました。そこで日替わりマスターをする同級生がいたんですが、みんな大学を卒業した後に自分たちだけのこんな風に集まれる場所がほしいなあとなった。その時のメンバーの3人が全員めがねをかけていたんです。だからメガネヤ。
僕はそんなところができたら、今まで勤めていたような大型店じゃないタイプの古本屋を、家みたいなところでやってみたい、と手を挙げたんです。結果として僕だけが古本屋をやることになり、メガネヤの名前だけが残りました。今でもその時のメンバーは店に来ますよ。
2007年4月から2010年4月までは京橋、2010年5月より南森町のマンションの一室で営業中。
ここ20年ほど、ブックオフとインターネットの登場により古書店の世界は様変わりした。
昔は古書組合に入って、組合員だけが参加できる市で仕入れ、店で目録を作って常連や古書の即売会で売っていた。
しかし、ブックオフが新しい本を高く買い取るようになり、高い本でも古ければ安く売られるようになった。インターネットの登場で店舗意外でも販売できるようになり、さらにアプリの登場で、本の知識がなくても高値の本を簡単に見つけられるようになった。大型古書店で安い本を仕入れてネットで転売できるようになったことで、古本屋は素人や副業でできる時代になったのだ。
しかし、市川さんの場合は、前職は古本屋でがっちりと修行しており、ネット販売もしていない。古本屋が収入のメインという感じではなさそうだ。
どうやって「食って」いるのか?
——古本屋一本でやっているんですか?
市川: そこらへんの説明が難しいんですよ。古本屋は仕事だと言ったら仕事ですし、メインの収入の仕事を仕事だとすると、仕事じゃないですし。いつも答えに困るんです。僕は勤め人じゃなくなって10年以上経っています。その間は誰にも雇われていなくて、クライアントのいる仕事はほぼしたことがないです。なんとなくの相談はよく受けますよ。
——どういうところから話が来るんですか?
市川: 口コミとか友達つながりとか。わかりやすいのだと、ツイッターの投稿をする「中の人」とか。広報的活動をする部署なのに、人手が足りないという相談を受けて、「情報の発信の仕方についてTwitterはどうですか」と提案して、「じゃあ今回のイベントはそれで広報しましょう」と依頼される。一人暮らしの人の家の鍵を預かっていることもあります。もしもの時の大家さんみたいな感じです。
——それで10年以上やっていけるって、センスとかがないと厳しい感じするんですけれど。
市川: かもしれないですね。僕、出勤時間があって、その時間内そこに行かないとあかん仕事は、ほぼ無理だろうと高校生の頃から思っていたんです。学校も遅刻ばっかりだった。会社でも、「やることやったら帰らせてくれないかな」と思っていました。
——時間通りに動けないのが欠点だとしたら、市川さんの強みってなんですか?
市川: 勤め人になれる人が耐えられないプレッシャーみたいなものに、耐えられるというのはあるかなあ。ここで生活していると、多分、普通の人では耐えられないようなストレスとかプレッシャーとかがあるんですよ。例えば誰にも雇われていないとか。僕はそれに対してなんとも思わないから平気。
——なるほど。
市川: お金の面だけじゃなく、人との関係性にしてもだと思います。僕は家でメガネヤをやっているんですが、人が家に入ってくるのが耐えられない人もいるでしょう?
——よくシェアハウスに住める人と住めない人の話がありますよね。シェアハウスに住める人は「シェアハウスに住んで楽しい」とか「お金が節約できていい」とかあるけど、ダメな人は「他人と住むのがどうしても嫌」っていう。
市川: そうですね。僕はシェアハウスには住みたいとは思わないですね。できることとできないことのバランスが人によって違うから。僕は10年以上「古本屋です」と言って、「メガネヤ」という名前でやっています。だからメガネヤは個人の愛称も含めた、屋号です。
——わかりやすく言うと便利屋さんみたいな感じ?
市川: 便利屋やと思っている人は便利屋、本屋さんやと思っている人は本屋。多分このインタビューも、本屋の文脈というよりは、便利屋的な部分で話を聞きたいと思ったんじゃないですかね。
品揃えはアート、まんが、絵本、文学と多岐にわたる。
現在、個人の趣味を生かした「小商い」として古書店を開くことは一種のブームになっている。新刊書店よりも仕入れが簡単で利益率が高く開業しやすい、カフェや雑貨屋やイベントスペースを備えた古本屋が新しい業態として注目されている、といったことが理由だ。しかし、メガネヤは、そんな古本屋ブームで開業した店とも距離がある感じがする。それは市川さんの稼ぎ方の柔軟さにあるのかもしれない。
「住み開き」とはちがうのか?
——市川さんのような自宅を使ったお店とかスペース作りって「住み開き」とも言えると思うんですが……。
アサダワタル著『住み開き』(筑摩書房、2012年)
アサダワタルさんは自宅を使ってお店や人が集まる場を「住み開き」と名付け、本にまとめた。家賃が高いから家で、家族だけやったら面白くないから、といったさまざまな理由で自宅を開放している人たちが紹介されている。
市川: 逆に僕の活動がアサダ君が「住み開き」を提唱する際のヒントになったと思います。前のお店は取材されたし、今のお店は以前アサダ君も使っていた208というセカンドオフィスだったから。
アサダ君は周りのこういうマンションの部屋の使い方とか、どう見ても部屋にしかないようなところで古本屋をやっている僕とか、家っぽいところを開いて何かしている人から影響を受けたんじゃないかなと思っています。
アサダさんが筑摩書房から『住み開き』を出す前に作った冊子。京橋にあった頃のメガネヤが載っている。
『住み開き』刊行時にはイベントも開催された。
——市川さんは本の売り方の一つとして、家を使おうと思われたわけですね。
市川: そうですね。店舗を持つことが大変だったし、勤め人をしながら違うタイプのことをしたいな、と思っていたので。両方ができることを考えていくと、この形になったというか。頑張らなくてもいい範囲で自分がやれることを考えた感じですね。
——それで本も売りつつ、いろんな催しもしているという?
市川: 結局古本屋だけでやろうと思ったら、常にいい品揃えをしないといけないのですが、いい本って常に仕入れられるわけじゃないので。それでも古本屋をやっていく方法はないだろうかと考えた結果、友人や知り合いを呼んでご飯を食べたりイベントをしたりしています。メガネヤに来たからといって絶対に本を買わなくてもよくて、誰かがいるから会いにいこう、ドリンクも飲めるし、といろんな人が来てくれるような形を作った。そうしたらそこでお金も動くし。
毎月1日は映画が安くなる「映画の日」。スナック朔日はそれにあわせて開催しており、映画のチケットがあるとドリンクのサービスがあったりする。観た映画について話したり、他のお客さんが観た映画について聞いたり、「映画」をテーマに人が集まる。
——今は「住み開き」という言葉ありきで、こういうことをやり始める人が多いですけれど、全然そういう言葉や概念がなかった頃に、自分で考えて?
市川: 僕は単にうちで古本屋していただけなんですけどね。
言葉ができて『住み開き』の本が出たら人に「住み開きしてるんですね?」って言われる。でも答えがあるわけじゃなくて、みんな自分のやり方で好きにやっているだけやから答えにくい。「住み開き」にオリジナルもなければ本当もないんですが、あると思って、人は真似をするんです。
そこからムーブメントになると、今まで知らなかった層に広がっていく。そうなると、言葉がどんどん一人歩きしていって、「住み開き」=「場所貸しのイベントスペース」みたいに思われる。さらにテレビの特集なんかで別のスペースが取り上げられたら、今度はそっちの印象が広まって、言葉が定義しているものと実態がかけ離れたまま、言葉だけがどんどん広まるような感じになってくる。
——新しい言葉と概念ができると、実態を見て何か言うんじゃなくて、先にラベルの方で見られてしまうということですね。
市川: それが怖いなと思って。人の言葉というのは、そういう風に広まっていくんやなって。自分が使っている言葉が、どの程度本当に近い言葉なのかどうなのかは気になりますよね。そういった実態と言葉の距離感については考えるようになりました。
前半はメガネヤの独自のカラーがどのようにできあがってきたのかについて、市川さんの半生を交えながら伺った。後半は市川さんの考える右下について迫ります。
インタビュアー:太田明日香(取材日:2018年4月23日)